仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
『自業自得』とは、自分の行為の報いを自分自身が受けること。一般に、悪業の報いを受けることにいう。これは仏教用語である。
さて、よく聞くのは後述した方。つまり、『自業自得だよそんなもの』などと吐き捨てられ、自分のやったことの責任を取る。そういう考え方が蔓延しているだろう。しかし、『自得』という言葉がないがしろにされている実際は、悪いことだけではないのだ。良いことも、自分のものになるのだ。
そう考えたら、少しこの言葉に対する捉え方も変わってくる。一般に考える『自業自得』は、何か責められている気がして、戒めの言葉だか何だか知らないが、『敵視』して『拒絶』してしまう本音もある。
だが、『自得』という部分にフィーチャーすると、(なんだ、良いことをしたことは返ってきて、それは良いことをしたことの報酬だから受け取っていのか。)などという発想の下、何だか受け入れやすくなってくる。これが人間というものだ。
最初はそれでいい。そのうちその法則に慣れてくると、その『報酬』に対する心構えも自然と変わってくるからだ。『自業自得』という意味をここまで理解できたなら、まずは十分だ。
参照文献
仏典
法句経165。