仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
自分の心の声は、耳をすませば必ず聞こえるようになっている。重要なのは、まず『心の声がある』という事実を知ること。子供の頃などは、(今、心の声が叫んだ)などとは表現できない。そういうことを言ったら、未熟な周囲の同級生たちに揶揄され、 あるいはいじめの原因になることすらある。
しかしまず第一歩として重要なのは、『心の声がある』という事実を知ることなのだ。その一歩さえ踏み出せれば、後は楽になってくる。何しろ、『理屈を知った』のだ。『紙に火を付ければ燃える』という理屈を知ったのと同じだ。火をつけたいのなら、後は『紙にライターで火をつける』だけ。そういう風に、理屈を知ることは、簡単に思えて、極めて大きな一歩である。
人は、首が据わるまでに時間がかかり、二本足で立つまでに時間がかかり、食べていい物を見分けるのに時間がかかり、トイレで用を足すのを覚えることに時間がかかる。しかし、その『理屈を知る』とどうだ。やりたいときにやりたいことを、適切な場所と適切なタイミングで行えるようになる。それの『応用』に過ぎない。
では、何らかの失敗をしたとしよう。それを生み出した最初の一歩は、どういう一歩だっただろうか。例えば『おねしょ』なら、『夜寝る前に飲み物を飲み過ぎた』のが、最初の一歩だ。同じように、失敗をした最初の一歩があるはずだ。それは『心の声を無視した』ことである。
自分の心は、確かに叫んだはずだ。
(怠けるなよ)
(やめておけよ)
(前もあったぞ)
(後悔するぞ)
(怒りに身を任せるな)
確かに聞こえていたはずだ。しかし、その声を隠蔽して見て見ぬフリをしたか、あるいは衝動に身を任せてしまった。だから失敗(後悔)したのだ。自分の心こそは、この世で最も自分を理解している盟友である。その声に耳を傾けないことは、どんな友人の言葉を軽んじることよりも、罪深い。
参照文献
法句経21。
関連する『黄金律』
『人間が戦うべき相手は外にはいない。「内」にいるのだ。』
『アウトサイド・インではない。インサイド・アウトだ。』