仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
『支配』と言うと少しシビアで強いイメージがあるかもしれないが、我々人間は、犬猫をはじめ、様々な動物を養っている。ペットとしてもそう。家畜としてもそう。競走馬としてもそう。何でもいいが、とにかく養い、育て、散歩させたり、走らせたり、そして食したりする。だとしたらそれは『支配』だ。 ただ、動物が喋らないのをいいことに、
(この子も私に飼ってもらって嬉しそう)
などと言っているだけかもしれないのだから。
それに、『支配』というのは悪い意味だけに使う言葉ではない。『支配』という字は『支え』と『配る』で成り立っている。自分がその対象の『生きる支え』となり、どう生きていくべきかに『気を配り』、『配慮する』。支配者とは、そういうオーナー、管理人、大黒柱の様な存在なのである。
だとしたらどうだ。動物を虐待する人間や、自分の人生をないがしろにする人間は、『支配者』と呼べるだろうか。いや、呼べない。『支配できていない』ではないか。
参照文献
仏典
法句経380。
関連する『黄金律』
『人間が戦うべき相手は外にはいない。「内」にいるのだ。』
『アウトサイド・インではない。インサイド・アウトだ。』