仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
自分の『我』を支配しようとする人間は、まさに『マスター(支配人)』と呼ぶにふさわしい。自分を支配できる人間なら、当然『衝動』も『暴走』も『抑うつ』も、『健康』も『お金』も『不動産』も支配(管理)出来るだろう。
しかしその道は険しい。平たんな道ではない。何しろ、どんな荒れはてた茨の道を歩くことになっても、平常心を失うことなく堂々と歩かなければならない。その為に、足を何度も何度もズタズタにしては再生させ、を繰り返し、強固な足裏を手に入れる必要がある。
だが、向上心ある人なら、(なんだ、その程度の事、最初から織り込み済みだよ)とあっけらかんと言うだろう。自分のレベルを上げる為には、今の自分が『大変だ』と思う道を歩き、あるいは敵と戦わなければならない。その戦いは、激しいものになるだろう。しかし、だからこそ人生に悔いが残らないのだ。
人生の黄昏時を迎えた時、振り返って後悔するのは、『負ってきたリスク』ではない。『避けてきたリスク、掴まなかったチャンス、立ち向かわなかった恐怖』なのである。
参照文献
仏典
法句経245。
関連する『黄金律』
『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』
『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』
『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』
『「生きる」ということの本当の意味とは。』