仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
衝動というのは、心、つまり内面から突き動かされる感情の暴走である。それは、迷いだ。怒りだ。私利私欲(煩悩)だ。それは、自分の本当の意志ではない。例えばダイエット一つで考えてみてもわかりやすい。目的は、本当の意志は『ダイエットを遂行すること』だ。だから『ドカ食いすること』ではない。しかし、それはつい行われてしまう。衝動に負けてしまうのだ。
その際中、自分はまるで何者かに乗っ取られた気分だ。その正体を明らかにし、それに支配されないことを意識することで、自分の本当の意志と、そうでない意志との見極めがつくようになる。 しかし、その意識がないとこう考えてしまうだろう。
あ、食べたいな。 ダイエット中ではあるが。でも、別にここまで食べたいと身体がサインを出しているということは、食べた方が良いんじゃないかなあ。自己防衛本能って言うし。それに、一回食べたぐらいでは問題ないだろうしな。なんなら明日からでも出来るし。
決めたあの時も確かに自分の意志だったけど、今だって自分の意志で食べたいと思っているんだ。あの時とは状況が違うわけで、今の状況の自分の気持ちは、あの時の自分では想像できなかったわけで。あの時の自分の感情がどうかしてたかもしれないんだ。
byツルゲーネフ
自己弁護をする、衝動をする自分はまるで、『自分ではない誰か』だ。我々は『自分ではない誰か』に身を任せて生きていくべきか、それとも『自分にしか生きれない人生』を生きるべきか、考えてみるのがいいだろう。
参照文献
仏典
相応部経典。