仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
もし自分の心から沸き起こる一切の煩悩、私利私欲、衝動が、『苦しみの根源』であるとしたなら、どうだろうか。往々にして人はその逆で、(突き動かされるぐらいだから、快楽に直結している) と考えるものであり、それは=苦しみに直結はしていない、と考える。だがそれが、『苦しみに直結している』としたらどうだろうか。
厳密に言えば、『直結』は直結でも、その間に『快楽』が一つ挟んであるのだ。だが、その快楽の列車を通り過ぎると、すぐに『苦しみの列車』に連結されていることに気が付く。
(一瞬だった)
快楽の列車を通るのは、一瞬の出来事だった。後は苦しみの列車で過ごす時間の方が長い。それが『衝動』というものである。その仕組みを理解すると、いささか『衝動に身を任せる』ことは、激減する。
まずは激減でいい。少しずつそれで馴らして感覚を掴み、『一切行苦』であることを理解するべし。苦しみの原因に依存することを知れば、そのうち馬鹿馬鹿しくなってくるはずだ。
参照文献
仏典
法句経278。
関連する『黄金律』
『人間が戦うべき相手は外にはいない。「内」にいるのだ。』
『アウトサイド・インではない。インサイド・アウトだ。』