キリスト教の礎 イエス・キリスト
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内省
つまりこういうことだ。人は、金が無いと生きていけないという事実を短絡的に考えると、確かにその通りだ。金が無ければ、衣食住が揃わない。つまり、人が生きていく環境を確保できない。見栄も張れない。格好も付けられない。贅沢も出来ない。最愛の人にプレゼントもあげられない。旅行もできない。
確かにその通りだ。もはや人間の世界は、金が無ければ生きていけない仕組みが成立している。だから人は皆、金を追いかけてしまうのだ。だが、ではなぜ、極めて自給自足に近い生活を田舎で過ごす人がいるのだろうか。それも、
男性経営者
と、ある男性経営者たちは言っていた。田舎ではぜいたくな暮らしはできないだろう。移動も不便だ。コンビニもない。野菜は自分たちで育てるしかない。まるで、かつての人間の暮らしのようだ。
そう。かつて人は、皆そうやって生きていた。技術が進めば進むほど、それに追いつけば『贅沢』を味わえる。だが、技術に追いつこうとしなくても、人は『満足』出来るではないか。もしそれでも金が欲しいのなら、決して金を欲してはならない。
天才相場師のジョージ・ソロスは言う。
経営の神、松下幸之助は言う。
そのパラドックス(逆説)に気づけるかどうかが問われている。どちらにせよ金を追ってはいけないのだ。金に追わせなければならない。そのためには、金を支配する人間でなければならない。人と同じく、支配力があり、浪費しないような人間の下に、金は集まるものだ。
『この人に有効に使ってもらいたい』
そう思える人の下に、金は集まるのだ。間違っても、金の為に真理を捻じ曲げてはならない。金に支配されて我を失えば、必ずしっぺ返しを食らうだろう。私はそういう人間を何人も見てきた。そして、かくいう私こそ、その代表だったのだ。
参照文献
マテオによる福音書。
関連する『黄金律』
『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』
『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』
『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』
『「生きる」ということの本当の意味とは。』