キリスト教の礎 イエス・キリスト
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内省
キリスト教で言われる『7つの大罪』とは、
- 傲慢
- 嫉妬
- 憤怒
- 怠惰
- 強欲
- 暴食
- 色欲
が挙げられる。その中で今回取りあげるのは、『傲慢(ごうまん)』。つまり『自惚れ』だ。読んで字のごとく
- 『自分に惚れている』
- 『自己陶酔者(ナルシスト)』
- 『自分の思い通りに物事を遂行しようとする』
- 『自分を棚に上げている』
- 『天上天下唯我独尊の意味のはき違い』
- 『お前の物はおれの物、おれの物もおれの物の発想』
- 『力づくでねじ伏せる』
- 『自分の非を認めない』
- 『分が悪い真実を隠蔽、捏造する』
等、枚挙に暇がないが、この類の行動をとる人間を、『傲慢』な人間と言う。例えば、『天上天下唯我独尊』というよく聞く言葉の意味は、釈迦(ブッダ)が生まれたときに発した言葉だとして伝えられているが、暴走族が軽はずみに使う姿は、滑稽そのものである。(私も他人ごとではない。)
単なる意味のはき違いである。この言葉の意味は決して、
『俺がこの世で一番偉いんだ。俺が神なんだ。俺は誰の言うことも聞かない。聞く必要が無い。自分のやりたいようにやる。邪魔をするな。』
という意味ではない。辞書にすら、
『我はこの世で最も優れた存在である。という意味』
と書いてあるが、それは間違いだ。どこかの熱狂的な仏教徒が、ブッダ自身は
『私(個人)を崇拝するな。答えは自分の心の中にある。』
と言っていたのにも関わらず、ブッダを神格化し、神として崇め、そして話を『盛った』ことにより、それが伝言ゲームのように長い年月と幾人もの人間の耳と口を潜り抜け、間違った解釈として広まった。
そもそも、ブッダが死んでから数世紀の間は、本物の仏教徒の厚い信仰心によって、『教えが守られていた』。偶像崇拝や書物を残すことを、禁じていた。それが、ブッダの教え(仏教)だったからだ。しかしそれはそれは長い年月と、無知で無力な人間が関われば、次第にそれは、薄れていく。ここでいう『無知』というのは、『偶像崇拝や書物を残すことを禁じていた』事実を知らなかった、という人も、全てそれに当てはまる。なぜそれを禁じていたのかという理由ともなれば、尚のこと知らなかっただろう。そして今日に至るのだ。
天上天下唯我独尊とは、
『この甚大な規模の宇宙の中で考えても、この圧倒的な時間の規模で考えても、 自分という人間はその中にたった一人しかいないのだから、 たった一度の自分の人生を、悔いの無いように、自分らしく生きなければならない。』
という意味だ。背の高い人間、背の低い人間、容姿端麗な人間、それと比べて醜いと評される人間、病気を患う者、文字の読めない者、その全て、一人一人が、『天上天下唯我独尊』であるべきなのだ。もし彼らがこの世にたった一人だとしたら、 彼らは、『醜い、病気、異常、背が低い、劣っている、弱者、貧しい』 という評価になるだろうか。
比べる者がいないのに、そうはならない。つまり、『比べている』のだ。この世に、自分という人間は未来永劫たった一人なのに、比べているのだ。我々は、人目を気にしたり、人の評価を得て報酬を貰おうとしたり、モテようとする、人気が欲しい、劣等感を感じる、優越感に浸る、いつだって人と『比較』し、そして『見栄』という名の背比べをする。だが、それは間違いだ。『天上天下唯我独尊』であるべきなのだ。ブッダが言ったのは(赤ん坊でそう言ったとは私は思わないが)、そういう意味だ。
2500年後、日本の暴走族は特攻服にその文字を刻み、『俺はやりたいようにやるんだ!』ということ掲げたが、それは単なる意味のはき違いである。外国人が日本語が読めず、『僕は馬鹿です!』とプリントされたTシャツを堂々と着ていることがあるが、それと同じだ。しかし本人はその言葉を格好いい、あるいは崇高な言葉だと勘違いしている。(もちろん日本人も同じだ)
『悔いを残す行動』をとる。それが『傲慢』であり、大罪に数えられる理由である。それを理解しなければならない。『暴走行為』は悔いを残す。それを、事故や喧嘩で命を失う前に、あるいは懲役刑を受ける前、人を殺めてしまう前に、気づかなければならない。我々は、『悔い』を残してはならないのだ。それをしてしまう全ての行動は、『罪』に値するのだ。
この世を生きたくても、生きることが出来なかった命がある。この世に生まれてもすぐに、落としてしまった命がある。そう考えると、『命の無駄遣い』たる行動は、人として『罪』だということが、よくわかるはずである。『ナルシスト』は一見すると自分を大切にしているように見えるが、『自分だけを愛する』のが傲慢だ。そして傲慢とは、『命の無駄遣い』だ。命の無駄遣いをしてはならない。我々は、たった一度の人生を生きているのだ。
参照文献
格言の書 第6章。
関連する『黄金律』
『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』
『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』
『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』
『「生きる」ということの本当の意味とは。』