キリスト教の礎 イエス・キリスト
Contents|目次
内省
孔子の2000歳年下、キリストの1500歳年下の王陽明が言った、『知行合一』。これは『知っているだけで、行動に移せないのであればそれは、知らないと等しい』 という意味である。『信仰』も同じことだ。その信仰に本当に絶対の信頼を置いているのなら、『信じて行動』せよ。さしずめそれは、『信行合一』。『信仰があると言っているだけで、行動に移せないのであれば、それは、信仰が無いのと等しい』のである。
せめてあなたの身の回りにいる人々に対しては、救いの道を示すことが出来ているだろうか。出来ていないのなら、自分だけが『敬虔な信仰者』であることに浸っているのなら、それは『エセ』であり、恥ずかしいことだから、もう人には語らない方が良い。語らなければいいだけだ。そうすれば単なる『迷える子羊』になるわけだから、『エセ信仰者』と揶揄され、不信がられることもない。なにしろ『迷い人』なのだ。それを責める人は、ただの弱い者いじめになってしまう。
もしあなたの周りに不和があり、その原因があなたの信仰に対する不信なのであれば、それはあなたが『エセ』なのに、『敬虔な信仰者』を装うことに原因がある。信仰は、あなたの傲慢を助長させるために、援用するツールではない。そのことについて、一度よく考え直せ。
参照文献
聖書
ヤコブの手紙 第2章。
関連する『黄金律』
『愛があれば全ては解決する。』
『流動変化が避けられないことを知っているかどうかは、人間の運命を大きく変える。』