儒教の始祖 孔子(画像)
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内省
なるほど。私は孔子(論語)の言葉と向き合って内省をしているだけで、孔子が行う『儒教』がどういうものかなど、一度も考えたことがなかった。その他の宗教と同じく、なんらかの神がいて、それを奉り、崇拝する宗教の一つだと思っていた。
私は宗教があまり好きではないから、正直、孔子、釈迦、キリストというこれらの面々と向き合うといっても、宗教色を外した上での対話しかしてこなかった。それはただただ、人として生きて、死ぬまでの間に、人間を極めた、ソクラテスを含めたこの『四聖』の話を真剣に聞かなければ、悔いを残す、という理由があったからだ。
だが、なるほど。儒教の始祖である孔子も、私と同じことを言うような人だった。
『神霊は尊崇すべきだが、深入りせずに一定の距離を保つのが知的な態度といえるだろうな。』
孔子は、宗教を全否定していたわけではないが、宗教の毒も心得ていたのだ。私自身、クリスチャンの両親、祖母のもと育てられたから、宗教について抱く葛藤は、痛いほどよくわかる。今、私は彼らを責めることはない。だが、当時の宗教を強要された私は、彼らの存在を憎んだ。
”神”とは、”偉大”だ。だが、強要するものではない。求める者にだけ、光を照らす存在こそが、”神”なのだ。
参照文献
雍也第六-二十二
子曰く、民の義を努め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。