儒教の始祖 孔子(画像)
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内省
山を登ってみればわかることだ。だからもし山を舐めて、軽率な準備をして登山に臨めば、すぐにこの意味を思い知ることになるだろう。ここで孔子が言うのは、『備えあれば憂いなし』ということである。私はこの言葉を小学生の頃から聞いていたが、正直意味をよく理解していなかった。『そうだね』 程度の理解はあるのだが、それが軽薄だったのだ。
遠足に行く前に準備をちゃんとして、すれば楽しい遠足になるし、しなければ遠足で嫌な思いをする。その程度の理解でしかなった。もっとも、学校側としては小学生に対しては、それで十分だということだっただろう。
しかし、この言葉の意味を本当に知ることになるのは、もはや、言葉の意味と人生の意義に、真正面から向き合おうとした、20代に突入してからである。備えをしないことで多くの失敗をして、取り返しのつかないことの一歩手前の出来事も『多々』あった。海外の文化に触れたり、実際に富士登山もして、思い通りにならないことがたくさんあることを思い知った。
リンカーン は言う。
この言葉も、孔子の言葉も、小学生で習ったあの言葉も、言うのは易しだ。行うのは難しだ。しかしこれが出来たなら、それは偉業を成したと思ってもいい。『前始末』が出来ないのが、人間なのだ。
参照文献
衛霊公第十五-十二
曰わく、人にして遠き慮なければ、必ず近き憂いあり。
関連する『黄金律』
『人間が転落するタイミングは決まっている。「得意時代」だ。』