む古代ギリシャ哲学者 ソクラテス(画像)
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内省
ある日ソクラテスは、自分が知者だと言い張る人間に、 『善とは何か』と問いただした。すると、男は笑いながら言った。
自称知者
それに対し、ソクラテスが言った言葉がこれだ。すると男は居直って、ソクラテスの髭をむしり取った。何が善で、何が悪か。これについての意識、心構えのことを『規範意識』という。規範意識とは、道徳、倫理、法律等の社会のルールを守ろうとする意識のこと。Wikipediaにはこうある。
しかし、規範、道徳、法律は、類似するものであるものの、必ずしも一致するものとは限らない。通常、法律の遵守は規範であると考えられるが、いかなる場合であっても法律を守ることが規範意識であるのかというと、違和感を覚える人もいるであろう(例えば、交通量の極めて少ない場所での信号無視や、 保護者同伴の席での未成年者の飲酒、駐禁場所でのやむをえない一時駐車など)。
また、結婚し家庭を築くことは社会の規範であるという意識の者もいる一方、 結婚や子供を持つことは価値観の違いの範疇に属するものであると考える者もいる。
規範意識の記事から、『何が善で、何が悪か?』について私が最も考えさせられる一本の映画の話だ。
この映画のキャッチコピーはこうだ。
『あなたは、ジョディ・フォスターを許せるか?』
ジョディ・フォスターはこの映画の感想で、こう言っている。
ジョディ・フォスター
あるところに、真剣に愛を育み、今にも一生を共にしようと誓おうとしていたカップルがいた。しかし、あるデートの途中、公園で理不尽な暴漢に襲われ、自分は大けがを負い、連れていた犬は奪われ、恋人は、殺されてしまった。幸せの絶頂の中、そういう理不尽な目に合い、彼女は精神的に深い傷を負った。彼女はしばらくの間ろくに仕事もできず、悩み、苦しみ、葛藤した。
ある日、その暴漢が逮捕もされず、何にも反省せず、のうのうと遊び倒していることを知った。弱い女性が決死の思いで駆け込んでも、事務的な対応をする警察。彼女の精神状況は、更に追い込まれていった。
(この世に本当に正義はあるのか?…自分が立ち上がらなければ、真実は隠蔽され、正義は歪曲され、彼の命が報われることはない…自分が立ち上がらなければ…)
その後しばらくして、彼女のことに親身になってくれる刑事がいたが、彼女はそのときすでに、犯人へ復讐することを固く決めていた。一体”なに”が、彼女をそうさせてしまったのか?
刑事は、断固として正義を貫いてきた、筋金入りの法律者だった。彼女の気持ちに気付いたが、彼が考えを変える気はなかった。彼にもまた、自分がそこまで生きてきた、信念があった。
彼女の最後の報復現場に駆けつけた刑事は、恋人を殺した犯人に銃を向ける彼女を止めた。彼女は泣き叫び、言った。
女性
しかし刑事は、その究極の場面で、こう言った。
刑事
そう言って刑事は、さっき取り上げた仲間のギャングの銃を彼女に渡し、彼女が今まで犯した報復を、すべてこのギャングの仲間割れのせいにし、堅く誓って信条にしてきた自分の『正義』を曲げ、彼女の『正義』を守り、現場から立ち去る彼女を見逃した。そこには、『法律』という常識を飛び越えた、確かな『規範意識』があった。あなたが『そういう環境』だったら、どう生き、どう判断するだろうか?
何が善で、何が悪か?あなたは答えられることが出来るだろうか。
※これらの言葉は参考文献『これならわかるソクラテスの言葉』や史実に基づき、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。
関連する『黄金律』
『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』
『人間は今、「最高到達地点」にいない。』