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四人の教師(内観とは何か)

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内観と『思い出のマーニー』

MEMO

この『内観』について、非常にイメージを描きやすい参考作品がある。公開からしばらく経った為、ようやく書くことが出来る。2014年に公開されたスタジオジブリの映画『思い出のマーニー』である。

 

はじめに

患者は当初、過去の問題に起源を持つ自分の心の問題に無自覚である。しかし解釈の結果、患者は過去と現在をつなげ、より完全な自己理解が得られる。この持続により、感情や態度、行動や人格の変化がもたらされる。

─『心の病と精神医学』

 

内観

 

マーニー

杏奈!大好きな杏奈!

マーニー!どうして私を置いていってしまったの?どうして私を裏切ったの!?

杏奈

マーニー

わたしたちのことは秘密よ。永久に!

 

…私は最初あの映画のCMを観た時、わずかでもこう思ってしまった。

 

これは、同性愛者の話なのだろうか…別にそれを差別はしないが、ジブリ映画としてはどうかなぁ。見づらいのかなぁ。

 

…しかし、私の考えは浅はかだった。そもそもなぜ『同性愛の話だと思ったのか』、そしてなぜ『同性愛だったらいけなかったのか』、更に、『マーニーが少女ではなく、祖母だとわかったら、なぜ一気に健全だと思ってしまうのか』。そしてこの映画に隠されたメッセージは、とてつもなく深いものだったのだ。

 

マーニー

 

なぜ、主人公の杏奈は、既に亡くなったはずの祖母であるマーニーに会うことが出来たのだろうか。あの現象は何だったのだろうか。『幽霊』なのだろうか。それとも、単なるフィクションの世界なのだろうか。いや、後者の方はあえて否定しない。私も、スタジオジブリの作品を観て育った。しかし、もしあれが『内観』であったと考えた場合、その全てに説明がつくようになっているのである。

 

その蓋然性が高い理由がいくつかある。

 

あの現象が杏奈の内観である可能性が高い理由

  • 杏奈は、心底に『人に打ち明けられないような鬱憤』を溜めこんでいた。
  • 杏奈は、『身の回りに(義理の母を含む)自分の理解者がいない』という意識を強く持っていた(義母の親戚のあの二人にも、部屋で一人になった時に、部屋の悪口を言っていることで、それは明白である)。
  • 杏奈は、『親戚のその家で、日常の喧騒から離れた環境(一人になる時間)』を確保することが出来た。
  • 杏奈は、『記憶の奥深くに眠る潜在意識に、かつて愛を注いでくれたマーニーという亡き祖母へのわだかまり』が刷り込まれていたが、その心の箱に鍵をかけ、あえて記憶を曖昧にし、自己防衛していた。
  • 『人は不快な記憶を忘れることによって防衛する。』

 

つまりこういうことだ。

 

杏奈は、一人になって自分の心と向き合い、抱えている鬱憤、疑問、未解決問題を解決しなければならない状況に陥っていて、たまたま気分転換に訪れた義母の親戚の家で、その家の住人である二人の夫婦が、『放っておいてくれるマイペースな人たち』だったことが功を奏し、自然と自分の心と向き合う時間が確保されていった。つまり、『内観(自分の心と深く向き合う)』する条件が揃っていたのである。

 

更に、偶然にもその場所は、自分の心のわだかまりを解くための『カギ』とも言える、マーニーという亡き祖母が住んだ場所だった。そして、そういうただならぬ気配は自分の心とシンクロし、『違和感』として杏奈に何らかのサインを与え、杏奈の潜在意識にこびりついた問題の解決を促した。

 

杏奈の問題解決のカギは、『愛』だった。両親を事故で亡くし、義母に育てられた杏奈がかすかに覚えている『本物の愛』は、マーニーのそれだった。しかし、実際には杏奈は、その『本物の愛』に囲まれて今も生活していた。それに気づいていないだけだった。しかし、杏奈の心の中は違った。杏奈が思う『本物の愛』は、マーニーとのそれや、亡き両親から受けるはずだったそれだった。

 

本物の愛

 

杏奈が、あれほどまでにマーニーとの触れ合いに依存していたのは、そこに、杏奈が心底から欲している『本物の愛』という『カギ』が眠っていることを潜在的に知っているからだった。

 

マーニーとの記憶のシンクロと共に、自分が今置かれている状況、周りの人間関係との間にある関係を再考する杏奈。

 

イギリスの神学者、トーマス・フラーは言った。

 

…自分の見てないところで自分の味方をしてくれる義母の親戚の叔母。その叔母と叔父の二人は、自分が冷たく、そっけない態度を取っても何も言わずにいてくれた。そんな二人が注ぐ無償の愛を通して、杏奈は少しずつ自分の中に固く閉ざした心のドアノブを開けていくことになる。

 

内観

 

私はこの映画の予告編で、気になっているキーワードがあった。それは、マーニーのこういう言葉だった。

 

マーニー

わたしたちのことは秘密よ。永久に!

 

永久に秘密?…しかし、ジブリが同性愛を描くとは思えないが、永久という言葉が妙に引っかかるなあ

 

そしてこの映画を観て、私はこの言葉の意味を思い知ることになったのだ。

 

映画の終盤、マーニーは杏奈の記憶の中で叫んだ。

 

 

マーニー

杏奈!大好きな杏奈!

マーニー!どうして私を置いていってしまったの?どうして私を裏切ったの!?

杏奈

マーニー

ごめんなさい、そんなつもりはなかったの。だってあのとき、あなたはあそこにいなかったんですもの

どういうこと?

杏奈

マーニー

ああ杏奈、あたしもうここからいなくならなくてはいけない。あなたにさよならしなければいけないの。だからねえ杏奈お願い、許してくれると言って!

もちろんよ!許してあげる!あなたが好きよ!

杏奈

 

これはまさに、杏奈が、かつてお別れの挨拶もろくに出来ないまま、一方的にいなくなってしまった、『本物の愛』を注いでくれた唯一の家族、亡き祖母マーニーと交わしたかった杏奈の本音であり、心の叫びだった。

 

…違う。これは同性愛の話ではない。永久に秘密というのは、『杏奈が自分の意思で、マーニーとの思い出を永久に自分の記憶に閉じ込めようとしている』ことを意味し、また、『マーニーとの思い出は、自分の中で特別中の特別』だと考えていることを意味していたのだ!

そして、そんなにも特別な存在であったマーニーは、2歳の頃に亡くなってしまった。両親をその前に事故でなくした杏奈にとっては、これらの出来事はあまりにも衝撃的な過去であり、自分を守るために、杏奈はこの過去の記憶を永久に自分の中に閉じ込めておこうとしたのだ!)

 

『人は不快な記憶を忘れることによって防衛する。』

 

記憶

 

マーニーは、杏奈の記憶の中でこう言いたかったのだ。

『育ててあげられなくてごめんね。淋しい思いをさせてごめんね。私(マーニー)は、杏奈の心にずっと一緒にいる。だから心配しなくていい。あなたは今、周りにいる多くの人達に愛されている。それに気づいて。杏奈。』

 

…自分の事を想ってくれているのは、かつての祖母だけではない。それが、杏奈が自分の記憶を解(ほぐ)してたどり着いた、結論だった。杏奈は12歳なのだ。いっぱいいっぱいになって当然。精神不確かなこの時期は、こういう不思議な現象が起きても何ら不思議ではない。これは内観である。わたしは経験者だからよくわかるのだ。

 

内観

 

私の他にも内観をした人間がいて、その人間は大人数の前でその感想を発表するとき、こう言っていた。

 

内観体験者

…あの、別に信じてもらえなくていいんですけど。僕は、内観で死んだ父親に会いました。

 

宗教を持たない私が、オカルト的な話を信じることは絶対にない。ないが、私には彼が言っている意味が分かった。

 

私の場合は、かつてトラウマとも言える宗教との問題の影響で、それらを識別する自我がしっかりしている為、そう表現することはないが、しかし、私は知っていた。彼がそういう嘘をつく人間ではない素直すぎる人間だということ。そして、どうして『亡き父親を見た』と言ってしまったのかということを。

 

そしてこのマーニーのストーリー。これらを総合的に考えた時、見えて来るのは何だと思うだろうか。

 

…そうだ。『カギ』だ。

 

我々は『未解決問題』という心の奥の奥に秘めた『開かずのドア』のカギを開けて、その問題を解決しなければ前に進めないようになっているのだ。

 

カギ

 

『思い出のマーニー』は、内観の体験者なら皆、杏奈が陥ったあの状況がそれに極めて近い体験であるということを、思い知ったことだろう。

 

杏奈が前に進むために背中を押してもらいたいと願っていた存在は祖母(マーニー)であり、知人の男性が前に進むために背中を押してもらいたいと願っていた存在は、亡き父親だったのである。

 

彼女らは、心の中に深く潜って彼らと対話し、心の中で『カギ』を握る重要人物と握手し、肩を組み、抱き合い、あるいは背中を押してもらうことによって、はじめて人生を前に進めることが出来ると、心底の部分で知っていたのである。それは、『内観(自分の心を深く掘り下げ、向き合うこと)』をしなければ出来るはずがないセルフコントロール(精神管理)だった。

 

それは私も同じだ。私の親は、私に無理やりクリスチャンになることを強要しておいて、自分達には何一つ悪い点はないと考えるような人間だった。

 

クリスチャン

 

例えば、そんな親に反発するかのように自由を求めるようになった私が非行を犯すと、

 

母親

恥ずかしいから周りには言わないようにしてくれ。

 

という、この『義母の親戚』とは真逆の行動を取るようなこともあったのだ。決して『クリスチャン(あなたの罪は私の罪と考えるような人間)』ではなった。

 

MEMO

残念ながらそれから十年以上経った後も『私たちにも少しは悪いところがあった』という表現をしている。

追記:この記事から4年。母と何度も話し合い、(というか一方的に私が説き、というほうが正確だが)母は『育児と教育の違い』を理解し、自分たちが偏った信仰を強要したことを謝罪し、今では、当時からすると考えられないくらい我が家にあった宗教問題はスムーズになった。

 

ただし、私はキリスト教系でやった妹の結婚式には参加しなかったし、今でも食事の前にお祈りをするという儀式を続行する親や祖母とは、一緒に食事を摂ることはない。なぜなら私は無宗教者だからだ。そしてクリスチャンである人間は、そんな無宗教者の私の意志をないがしろにし、『自分がそうしたいから』という理由で、自分たちの宗教的価値観を押し通す。

 

どちらかが折れなければならない。だが、両者とも絶対に折れることはないだろう。どちらが折れればいいのだろうか。このテーマについて更に深く考えるなら、この記事だけでは無理だ。以下の記事を読む必要がある。ただし、このサイトで最も難易度の高い記事だ。

『世界平和の実現に必要なのは『真理=愛=神』の図式への理解だ。』
『真理(愛・神)から逸れれば逸れるほど虚無に近づく。』

 

彼女らは自分の子供よりも、見栄や外聞を取るような自分本位で冷たい人間だった。『他の兄弟は出来ているのに、どうしてあなただけ出来ないの!』と言われたこともあった。だから私は、杏奈の気持ちがよくわかるのだ。私にも、私の周りに理解者など一人もいなかった。

 

kodoku

 

しかし、父の余命が宣告されたとき、そんな親を『赦した』ことで、最初こそ捻じ曲がって頑迷だった私の心は(俺の勝ちだ)と思ってしまったが、人生を内省することができ、そして私の目からは、長らく封印していたはずの涙が一つ、こぼれていた。

 

…親にも親の理由があった。自分には他にも選択肢があった。命がなくなったら、人はもう、終わりか。いつか食事をすることも出来ないんだな。

 

私がその『内省』よりも更に深い精神統一である内観をしたのは、それから数か月後のことだった。

 

この『マーニー』のストーリーの中でも、途中で杏奈が、マーニーの悩みを聞いてあげる立場に切り替わる。それは、それまでは『被害者』だった杏奈が、今度はマーニー(相手)の立場になって考えてみる、という新しい見地に立った証拠であり、自分のことだけを考えていた杏奈が、『人の事情』を考えられるようになった瞬間なのである。

 

人間が『パラダイム転換』をする為に、この『スイッチ』、あるいは『客観視』は非常に重要なポイントとなる。

 

パラダイム

 

そもそも、マーニーが杏奈と同世代として登場している理由は、

 

  • 大人=許せない
  • 同世代=許せる

 

という人間心理が関係している可能性が高い。私の場合で考えても、両親を含めた年上が間違った行為をしているのを見ると無性に腹が立つが、自分よりも年が下になればなるほどそういう気持ちは薄れる。

 

マーニーが杏奈と同年齢の友達のような姿で登場した理由は、杏奈がマーニーを『許して受け入れる』ために避けて通れない必要な条件だったと考えればつじつまが合う。

 

杏奈が義母への不信感があったのは、義母が自分の存在を迷惑がっていて、それでいて国から手当てを貰っている卑怯で汚い大人に見えていたからだ。親戚の家に預けたのも、邪魔な存在だという扱いを受けていたからだと思った。

 

しかし、これらの体験によって、どれだけ彼女が自分のことを愛してくれているか、ということを知った時、杏奈は最後、湖のほとりで知り合ったかつてのマーニー知り合いの久子に、義母の頼子をこう紹介したのだった。

 

…あの、です。

杏奈

 

『変わろうと思っている人だけが、変われるとぼくは思っているんです。』

by『思い出のマーニー』監督:米林宏昌

 

私は宗教が嫌いだった。

 

だが、彼らと数年間本気で向き合って出した結論が、『自分の心と向き合うべき』だということを知ると、私は宗教を好きになった。なぜならそれは、私が自分の人生で、自力(正確には他力も含む)で出会った結論と、同じだったからである。 むしろ、『そのほかの事を言うなら絶対に認めなかった』とまで、言い切っていい。何しろこの世には、アウトサイド・イン の考え方が蔓延しすぎているからだ。

 

いや、言い直そう。『宗教を好きになった』のではない。『宗教の起因を紐解き、その教えの真の目的を理解して、それに心底から共鳴した』 という方が正しい。なぜなら私はまだ、『宗教(?)が嫌い』なのだ。その理由は、次の記事で明らかになる。

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絶望名人部下

『絶望名人カフカ 希望名人ゲーテ』という本があり、『ちびまる子ちゃん』には『いつも前向き、山田君』と『いつも下向き、藤木君』がいますが、私はいわば『ゲーテかつ山田君』であり、私の20年来の部下は『カフカかつ藤木君』です。そのような人から見るとこの名言はどう見えるでしょうか。

T

こんにちは。IQさんの弟子の『T』です。私は師匠ほど前向きな思考を持てない問題を抱えていますが、師匠から『そういう人の葛藤的内省も価値はある』と言われたこと、そして同時に偉人と対話して心の修行をするため、ここに私の内省記事を記載します。

もう一つの内省

「してもらったこと」

ご飯を食べさせてもらったり、おむつを替えてもらったり、身の回りの世話をしてもらい、言葉、生活について、教えてもらっていた。常時目をかけてもらい、手にしたものを口にしないように、段差などから怪我をしないようにと危険な状態から守ってもらっていた。

 

「迷惑をかけたこと」

わがままに泣いたり、夜泣きを繰り返していた。

 

「して返したこと」

話すことも、ご飯を食べることも、寝ることも、トイレも何もできない年齢では、何かを形にして返すことはできていなかった。

「してもらったこと」

夜中に怖い夢を見た時にあやしてもらったり、補助輪での自転車練習を手伝ってもらった。寝られない時があれば、一緒に寝てもらうことがあった。

 

「迷惑をかけたこと」

おねしょの片づけをしてもらった。

 

「して返したこと」

話すことで意思を伝えられるようになってきたが、返す事よりも自分がやりたいことを伝えるだけの状態だったと思う。

「してもらったこと」

テレビゲームなど遊び道具を買ってもらった。寝る前などに宿題、勉強を見てもらうことがあった。

 

「迷惑をかけたこと」

まだ携帯がない時代で、日が暮れる時間まで帰らなかったことで心配をかけた。

 

「して返したこと」

良いこと、悪いことの判断が少しずつできるようになってきたはずだが、良いことをした記憶は思い出せないということは、意識的に何も返すようなことはしていなかった。

「してもらったこと」

友人が泊まりに来る時や誕生会など、普段とは違う食事や寝床準備を全て用意してもらっていた。父親に夜でもサッカーの相手をしてもらったりしていた。

 

「迷惑をかけたこと」

学校に行きたくない時に仮病で布団に閉じこもっていた。習い事に対しても行きたくない時は帰らなかったり、言い訳をして行かないことがあった。

両方とも原因がイジメではなく、ただ単に学校や習い事という事が嫌だったように思う。

 

「して返したこと」

友人と一度だけ母の日にハンカチを渡したことがあるが、父には何かをして返した記憶はない。ただ、これも自分から進んでというよりも流れでそうなった気がする。

「してもらったこと」

友人に関しては深く言及されたことはないが、勉強や進学については将来のために言ってもらっていた。進学先の情報なども調べてもらった。高校受験するための環境を作ってもらった。

身内全体から、兄の死があるとはいえ、面倒をみてもらいよくしてもらってばかりだった。

その時その時の流行りで欲しいものが変わり、買ってもらった物で使い続ける物もあれば、すぐに使わなくなってしまうような物もあった。

 

「迷惑をかけたこと」

イジメと高校受験のタイミングで勝手に学校を休み、自転車で急に田舎に向かったにもかかわらず、世話をしてもらうという状況を作ってもらい、身内全体に迷惑をかけた。

授業をサボるような事が続き、学校からの呼び出しで迷惑をかけた。

 

「して返したこと」

受験合格という形は作れたが、それも続かずに結果としては迷惑という状況になってしまった。

「してもらったこと」

この時期から親と話す機会が減ってはきたが、帰る前に連絡をすれば食事を用意してもらえていたり、普通に生活できる準備をしてもらえていた。

 

「迷惑をかけたこと」

高校を辞めたり、ブラブラしたり、通信に行くと言ったり、特になにも定まっていない状態が続き、半分以上その場の気分で動いて迷惑をかけていたような気がする。

 

「して返したこと」

コミュニケーションを取ることをせず言うことも聞かなかったので、して返すというよりも逆にストレスを与えていた。

 

「してもらったこと」

引っ越しをした時期なので、当たり前のように帰る場所があったり、食事ができたりと、普段の生活環境に対して有難味を感じた。毎日の生活が当たり前だと思い込んでしまうほどに、環境、身の回りの準備をしてもらっていた。

 

「迷惑をかけたこと」

家にいる時間が一番減っていた時期なので顔を合わせる事も少なかった分、心配など精神的な部分で迷惑をかけていた。

 

「して返したこと」

免許を取り行動範囲が広がったりしたが、運転で親をどこかに連れていくなどの行動をすることはなかった。

 

「してもらったこと」

自分から進んで決断することがなかったので、仕事も遊びも周りに流されたり、常にふらふらして朝帰りや酔っぱらって帰ったりと、自由すぎる行動を取っていたにもかかわらず、それが許される状況があった。

 

「迷惑をかけたこと」

明るい部分に行くことで気持ちは楽しい方向に向かうが、流されることにより責任という問題を気にすることがないため、警察沙汰になる可能性がある行動であっても迷惑がかかる前にストップするということができず、迷惑という結果がでてから後悔することになる。

 

「して返したこと」

決断を自分でしないということは、自分から何か返す行動を取らないことになる。何か返すような行動を取ったとしても、そこに意志があるかないかで、本当に返したことになっているか考えなければならない。表面的には返すような行動であっても、気持ちがこもっていない場合は返したことにならないはずだ。自分が返した気になるのではなく、その行動に対してどう思うのかが重要になることを、俯瞰で見て相手の気持ちになることができなければ理解できない。

 

「してもらったこと」

社会を知らない状態の自分でも受け入れてもらい、指導や食事など今までの経験にないことをしてもらっていた。

 

「迷惑をかけたこと」

仕事上の関係よりも、意識として先輩後輩時代の考えが強く残ってしまっていたため、世間知らずな行動や食事中の発言、仕事中のわからない部分への対応など、深く考えて行動をせずにその場その場の考えで行動してしまっていた。特に遊びの日の翌日に遅刻など、その日を楽しむことをメインに考えてしまい、翌日の影響などを全く考えることがなかった。

人生の歩むべき方向性を教えてもらっていたが、その時の自分では将来の事から逃げていたため、現実逃避など逃げるような発言ばかりしてしまっていた。

 

「して返したこと」

わからないなりには仕事をしていたが、普通の人と同じか、それ以下のレベルの為、本当に返しているとは胸を張って言えることはなかった。