第2の黄金律
『愛があれば全ては解決する。』
愛は没我であり、潤滑油である。円滑にいかない場所に愛はない。
『愛は惜しみなく与う。』-トルストイ
同じ的を射た偉人(19人)
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同じ的を射た書物
12冊 |
- 『成功哲学』
- 『GRIT やり抜く力』
- 『小さいことにくよくよするな!』
- 影響力の武器』
- 『幸せがずっと続く12の行動習慣』
- 『武士道』
- 『仕事ができる人の脳できない人の脳』
- 『遠回りがいちばん遠くまで行ける』
- 『聖書88の言葉』
- 『嫌われる勇気』
- 『夜と霧』
- 『道は開ける』
愛があれば全ては解決する。解決しないなら、そこに愛がないだけだ。『愛』とは、『与えるもの』だ。『恋』なら、『奪うもの』。例えば恋愛において考えた時だって、付き合っている相手が浮気したって、結婚相手が不倫したって、愛さえあれば、その相手を『ゆるす』ことが出来るはずだ。もし、『ゆるせない』のなら、そこに愛はない。だが、勘違いしてはならない。この『ゆるす』を漢字で書くと、『赦す』になるということを。
『赦す』というのは、罪を帳消し、リセットするとか、免除するとか、やり直せるとか、そういう意味合い、つまり『愛』のような感覚である。『許す』というのは、認める、承認する、良しとするなど、そういう意味合い、つまり『許可』のような感覚である。
『許す』必要などない。だが、『赦す』というのは、ほぼ『愛』の意味と等しいのだ。もしかしたらその相手が至ってしまった行為は、自分が注いだ愛の量や、やり方が間違っていた結果だ、と考えることもできるはずだ。相手はこちらのその『理解』という真の愛を受け、思い知り、そしてそこで初めて『真の愛』を知るかもしれない。 『負の連鎖』があるのなら、『正の連鎖』もある。その別名とは、『愛の連鎖』なのだ。
一方的で、理不尽に思えたとしても、愛さえあれば解決する。そのことを覚えておくことは、人間に限りない力を与えるだろう。
わかりやすいイメージ・ヒント
足を骨折をして松葉杖や車椅子を使うことになったが、足の筋肉に頼らなくなったおかげで、腕やその他の筋肉が発達した。
貧しい環境を強いられた子供が、その環境の中でたくましく生きていくために免疫力が強くなった。
紀元前からの黄金律
ナポレオン・ヒルの著書、『成功哲学』にはこうある。
自分がしてほしいことは人に対しても行うこと
『黄金律』の元になるものが、イエス・キリストの時代からすでにあったことはご存じだろうか。イエスは、『黄金律』を私たちが知っている形で教えている。さらに歴史を遡ると、いくつか似たような例がある。
- 『己の欲するところは人にもこれを施せ』(新約聖書マタイ伝7章12節)
- 『彼は、自分自身にとって望ましいと思う善を他の人々の為に求めた』(紀元前600年ごろのエジプトの碑文)
- 『己の欲せざるところ、人に施すことなかれ』(孔子。ただしこれは多少ニュアンスが異なる)
- 『われわれは、世間が自分に対してやってほしいと望むように、世間に対して振る舞わなければならない』(アリストテレス)
『黄金律』は数千年前から、人間の主たる規範として口にされていたものだということが、おわかりいただけよう。不幸なことに、世界はこの規範を言葉として覚えているが、その精神を見失ったとしか思えないような行動があまりにも多すぎる。次のように言い換えてみると、自分にも他人にも役立つような行動と関連付けやすいと思う。『『黄金律』とは、相手と立場が入れ替わったときに、自分がしてほしいと思うことを、相手に対して行うべきだ、という意味である』
インドの詩人、タゴールは言った。
自分の気持ちの整理だけでいっぱいいっぱいになる。…と思い込んでいる人があまりにも多いが、実は人間の器はそう小さくない。むしろ『無限』なのだ。何しろ最初からそんな器など、存在しないのだから。
自分たちのことなど二の次
ペンシルベニア大学心理学教授で、『天才賞』と言われるマッカーサー賞を受賞した教育界の権威、アンジェラ・ダックワースの著書、『GRIT やり抜く力』にはこうある。
では、スティーブ・ヤングの話から始めよう。スティーブはサンフランシスコ・フォーティナイナーズの伝説のクォーターバックで、NFL最優秀選手に2度も選ばれた。1995年の第29回スーパーボウルでは、6本のタッチダウンパスを決めて最多記録を樹立し、スーパーボウル最優秀選手に輝いている。さらに、NFL史上最高のQBレーティングを記録するなど、数々の偉大な業績を遺して引退した。
『今の私があるのは、両親のおかげです』
とスティーブは語った。
『子供をしっかりとしつけ、厳しく育てる。誰もがそういう親に恵まれることをねがってやみません。』
(省略)『父は私に、自分と同じようになってほしい、とおもっていたわけではありません。大切なのは、親が子供に安心感を与えることです。父は私が小さいころから、
『お父さんはお前をコントロールして、自分のような人間にしようなんて思っていない。なんでも言う通りにやらせて、自分が実現できなかった望みをかなえてほしい、なんて思っていない』
とわからせてくれました。それどころか、
『いつも全力で応援するよ』
と伝えてくれたんです。さらにスティーブは続けた。
『愛情ゆえの厳しさの根底にあるのは、無私無欲の思いです。それがいちばん重要だと思います。本当は親の身勝手なのに、おまえのために厳しくするのだと言っても、子供はちゃんとかぎつけますよ。私の両親は、ありとあらゆる方法で伝えてくれました。
『お前が自分の道で成功するのを、楽しみにしているよ。自分たちのことなど二の次だ』
と。
私の親がこういう愛にあふれた親だったらよかった。もちろん、私の親は私にとってかけがえのない存在だ。だが、『だからこそ』真の愛が何であるかを知って欲しかった。
人生を愛で満たそう
心理学者でストレス・コンサルタントのリチャード・カールソンの著書、『小さいことにくよくよするな!』にはこうある。
人生を愛で満たそう
愛に満たされた人生を望まない人にはお目にかかったことがない。そんな生き方をするには、まず自分から愛する努力をしなければならない。相手が愛してくれるのを待つのではなく、自分が愛の源になることだ。みんながまねするように、まず私たちtが自分の心にある愛の井戸をくみ上げる必要がある。
(中略)より大きな愛の可能性に心を開き、自分が愛の源になる(愛のはく奪者ではなく)ことによって、あなたが望んでいる愛に満たされた人生に向けて大きな一歩を踏み出すことができる。同時に、驚くべき事実も発見するだろう。愛は与えれば与えるほど満たされていくということを。
本当に『愛を与えることに徹する』ことが出来た人間の心は、満たされる。
返報性
また、米国を代表する社会心理学者の一人、ロバート・B・チャルディーニの著書、『影響力の武器』にはこうある。
返報性
社会学者や人類学者によると、人間文化の規範の中で最も広範囲かつ基本的なものの一つに返報性のルールがある。このルールは、他者から何かを与えられたら自分も同様に与えるように努めることを要求する。
返報性のルールは、行為の受け手が将来それに対してお返しをすることを義務付けるので、人は自分が何かを他者に与えてもそれが決して失われるわけではないことを確信できる。このルールに将来への義務感が含まれることによって、社会にとって有益なさまざまな持続的人間関係や交流、交換が発達することになる。したがって、社会のメンバーはすべて、このルールを忠実に守るべきこと、守らないと重大な社会的不承認を破ることを子供のころから叩き込まれる。
目の前の不和の原因は本当に『相手』にあるのだろうか。もしかしたらその光景は、自分の態度を映し出した鏡なのかもしれない。
『許す』とは和解することではない
ハーバード大学で学士号を取り、スタンフォード大学で博士号を取得したソニア・リュボミアスキーの著書、『幸せがずっと続く12の行動習慣』にはこうある。
『許す』とは和解することではない
私は、人生でのさまざまな不運にどのように対処したらいいかをこれまで述べてきました。不運のなかには、誰かに虐待されたり、傷つけられたり、攻撃されたときに生じる、苦痛をともなう試練があります。怪我や虐待は肉体的なものかもしれませんし、性的なものや感情的なものの場合もあります。
侮辱や腹立ち、裏切りをともなうかもしれません。そんな被害を受けた人間の最初の反応がネガティブなもので、動揺の被害を与えてやりたいと思うのは自然なことでしょう。この場合の典型的な2つの反応とは、『加害を避けること』と、『復讐を願うこと』であり、そうした反応がネガティブな結果を引き起こすことは明らかです。
(中略)許しについて研究している心理学者は、一般的な人が使っているのとは少し異なった意味で、許しを捉えています。許しとは、和解のことではありません。つまり、必ずしも罪人との関係を再構築する必要はないのです。あるいは、法律用語でいう『恩赦』とも道義ではありません。また、『罪を大目に見る』ことでもないのです。
さらにいえば、『許して忘れる』というのは間違った考え方です。なぜなら、許しには、傷つけられたことに対する記憶を薄める力はないからです。
(中略)許しとは、あなたが自分のために行うものであって、あなたを傷つけた人の為に行うものではないということです。(中略)最後に、人を許せないという思いは、いつまでもくよくよと考えたり、復讐にこだわることとも密接にかかわっています。でも、許しを与えれば、人は前に進んでいけるのです。
(中略)許した人を思い出すだけで、あなたは許した人を『私たち』と考えるようになり、他人への親しみが高まり、助けてあげたいという気持ちを覚えるのです。
『赦す』と『許す』は違う。例えば、相手が罪を犯したとき、それは当然悔い改めれば『赦される』べきだが、しかし、断じて『許す』ことがあってはならない。そうじゃなければ、また同じことが繰り返されるか、あるいは、子孫や、他の誰かに連鎖する。そんなことが許されていいはずがないのだ。
武士が重んじた愛
また、こういう方向からも『愛』を考えられる。新渡戸稲造の著書、『武士道』は、実にそうそうたる人物と照らし合わせ、その道について追及していて、奥深い。キリスト、アリストテレス、ソクラテス、プラトン、孔子、孟子、ニーチェ、エマーソン、デカルト、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉、枚挙に暇がない。 本にはこうある。
『武士道においては不平不満を並べ立てない不屈の勇気を訓練することが行われていた。そして他方では、礼の教訓があった。それは自己の悲しみ、苦しみを外面に表して他人の愉快や平穏をかき乱すことがないように求めていた。』
武士が重んじていた没我とは、まさに愛なのだ。周囲への愛、そうした高潔な精神がなければ、自分の手前勝手な感情を抑えることなどせず、越権行為にひた走った。
『利他心』が個人と社会をつなぐ応用力を養う
医師・医学博士の加藤俊徳の著書、『仕事ができる人の脳できない人の脳』にはこうある。
『利他心』が個人と社会をつなぐ応用力を養う
最近、公共の場でのマナーを守らせる貼り紙が増えてきました。これはまさに原理を理解していないことの現れです。狭い空間の中での争いを避けるために、他人を思いやるというコンセプトが理解できていないために、具体的な行動に移せず、いちいち、こまごまと注意をすることで人の知識力に訴えなければいけないのです。
『利他心』を忘れてはならない、利他心こそが、愛である。それがあればスムーズにいくのだ。それがなければ、軋轢が生まれる。そう考えると『愛』とはまるで、歯車の違う人間の関係を円滑にさせる、『潤滑油』だ。
人がいちばん元気になるために
実に50の職業経験と、世界40か国の旅を経験した有川真由美の著書、『遠回りがいちばん遠くまで行ける』にはこうある。
人がいちばん元気になれるのは、自分以外の人に喜んでもらうこと
喜びは、私たちに前に進むエネルギーを与えてくれます。癒されたり、励まされたり、刺激を受けたり…といった喜びでも元気になれますが、いちばんの悦びは、自分が『人を喜ばせることが出来る!』と感じることではないでしょうか。ヒトの役に立つときほど、自分を好きになれることはないでしょう。じつは、他人から『与えてもらう喜び』より、自分が人になにかを『与えることができる喜び』のほうが、私達を、とても元気にしてくれるのです。
人を愛することは、自分を愛することにもつながる。
許すのは、人のためじゃなくて自分のため。あなたが自由になるため
早稲田大学商学部を卒業後、様々な経歴を経て、クリスチャン女性の国際的なグループ『Aglow International(アグロー・インターナショナル)』に所属する中村芳子の著書、『聖書88の言葉』にはこうある。
許そう。許すのは、人のためじゃなくて自分のため。あなたが自由になるため
自分を傷つけた人を『許せない』と思うのは自然な心だ。親、子、兄弟、友人、恋人。でも、『許さない』思いは、人をその地点にがんじがらめにしてその人自身を傷つけ続ける。相手は許されなくても何の害も受けないが、あなたの心の中では栗のイガがコロコロと転がり続け、時おりそれを握りしめて血を流す。
聖書は『許しなさい』と教える。許すことであなたが自由になれる。『でも、許せない』と言うかもしれない。これは意思の選択だ。感情がついてこなくても『許す』を選ぶことができる。少女の頃に自分をレイプした叔父を大人になってから許したという女性の話を聞いたことがある。彼女はそれをずっと隠してきたが、夫に話し叔父を許すことで、心の傷が癒えて自由になったとすばらしい笑顔を見せた。
許しは声に出して宣言すると効果がある。誰かが聞いてくれたらなおいい。『○○さんが私を傷つけたことを今、許します。彼に許される価値があるからではなく、ただ許すことを選びます。』あなたは必ず自由になれる。
『聖書』
わたしたちの罪を赦してください。わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。(ルカによる福音書11:4)
恐れから解放してくれるのは無条件の愛
また本にはこうもある。
恐れから解放してくれるのは無条件の愛
親に無条件で愛された体験を持っている人は、自分に静かな自信を持っている。何かを達成したから、何かの条件を満たしたから愛されるのではなく、ありのままで受け入れられ愛されたという経験は、人を強くする。そんな人は逆境に耐えることができ、過酷な体験を乗り越えられるという。トラウマも残りにくい。愛はそれほどに深く大きく強い。ネガティブな経験や影響を駆逐する。
一方でそれを体験できなかった人は、『過ちをしたら愛されない』『一定の基準を満たさないと受け入れられない』という不安を、学校でも社会でも抱き続けるという。すでに親である人、これから親になる日とは、子供への愛に決して条件をつけないように、十分に心を配りたい。(中略)大人になってからでも無条件の愛を体験できる。
『聖書』
愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締めだします。(ルカによる福音書11:9)
あなたを攻撃する人を祝福しよう
また本にはこうもある。
あなたを攻撃する人を祝福しよう
オノ・ヨーコは、夫、ジョン・レノンが亡くなった後に、とても苦しい時を過ごしたと書いている。夫を亡くしたというだけでも辛いのに、奥の人が彼女を攻撃してきた。このままでは心が折れて病気になってしまう、と危機感を感じたヨーコは祈り始めた。自然に口から出てきたのは『Bless you Jack(ジャックを祝福します)』『Bless You Loren(ローレンを祝福します)』という祈りだった。不思議なことに次々に思い浮かんだのは、自分を嫌い、攻撃してくる人たちの名前だったという。
それを続けていると2つの変化が起こった。まず自分の心が変わり、相手を以前ほど憎んだり恐れたりしなくなった。そして、その人たちがいろいろな事情で次第に攻撃をしなくなってきた。おかげでヨーコは辛い危機を病気になることなく乗り越えることが出来た。イエスは、敵を愛しなさいと教えた。ほとんど不可能に思える課題だ。人を呪うと呪いは自分に返ってくる。だから祝福しよう。気持ちはついていかなくてもいい。ヨーコがそうしたように。その祝福があなたの心を守り、状況を変えてくれる。
『聖書』
敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。(ルカによる福音書6:27-28)
『不可能に思える』だけだ。不可能ではない。愛は不可能を可能にする。
人は愛を実感するとき
アドラー心理学に造造詣の深い岸見一郎・古賀史建の著書、『嫌われる勇気』にはこうある。
哲人『たとえば友人関係から恋愛に発展したとき、友達のあいだは許せていた言動が、恋人になった途端に許せなくなることがあります。具体的には、異性の友達と遊んでいるのが許せなかったり、場合によっては異性の誰かと電話をしているだけで嫉妬したりする。それだけ距離も近いし、関係も深いのです。』
青年『ええ、致し方ないところでしょう。』
哲人『しかしアドラーは、相手を束縛することを認めません。相手が幸せそうにしていたら、その姿を素直に祝福することができる。それが愛なのです。互いを束縛し合うような関係は、やがて破綻してしまうでしょう。』
青年『いやいや、それは不貞を肯定しかねない議論ですよ!だって、相手が幸せそうにしていたら、その姿までも祝福しろということになるではありませんか。』
哲人『積極的に浮気を肯定しているわけではありません。こう考えてください。一緒にいて、どこか生き苦しさを感じたり、緊張を強いられるような関係は、恋ではあっても愛とは呼べない。人は『この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える』と思えたとき、愛を実感することができます。(省略)
あなたは何度も背信行為を働くことができますか?
また本にはこうもある。
哲人『だまされて利用されることだってあるでしょう。しかし、ご自身が裏切った側の立場になって考えてください。あなたから裏切られてもなお、無条件に信じ続けてくれる人がいる。どんな仕打ちを受けても、信頼してくれる人がいる。そんな人に対して、あなたは何度も背信行為を働くことができますか?』
愛というのはどこから湧いてくるのだろうか。『相手から』だろうか。『相手発信』だろうか。つまり、『自分からは捻出されない』のだろうか。本当にそう思うだろうか。『本当に』そう思うだろうか。
愛は人が人として到達できる究極にして最高のもの
ナチスの強制収容所に収監され、人間の想像を絶する3年間を過ごしたドイツの心理学者、ヴィクトール・E・フランクルの著書、『夜と霧』にはこうある。
そのとき、ある思いがわたしを貫いた。何人もの思想家がその生涯の果てに辿り着いた真実、何人もの詩人がうたいあげいた真実が、生まれて初めて骨身に染みたのだ。愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。
今私は、人間が詩や思想や信仰を通じて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のことの意味を会得した。愛により、愛のなかへと救われること!人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。
(中略)ほどなく、わたしたちは壕の中にいた。きのうもそこにいた。凍てついた地面につるはしの先から火花が散った。頭はまだぼうっとしており、仲間は押し黙ったままだ。私の魂はまだ愛する妻の面影にすがっていた。まだ妻との語らいを続けていた。そのとき、あることに思い至った。妻がまだ生きているかどうか、まったくわからないではないか!
そして私は知り、学んだのだ。愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、愛する妻の精神的な存在、つまり(哲学者のいう)『本質』に深くかかわっている、ということを。愛する妻の『現存』、わたしとともにあること、肉体が存在すること、生きてあることは、まったく問題の外なのだ。
人類史上、もっとも劣悪な環境を強いられた強制収容所で暮らした人間の言葉に、注意深く、極めて注意深く、耳を傾けよ。
仕返しは高くつく
デール・カーネギー の著書、『道は開ける』にはこうある。
仕返しは高くつく
私たちは聖者と違って自分の敵を愛するのは無理かもしれない。けれども、自分自身の健康と幸福のために少なくとも敵をゆるし、忘れてしまおう。これこそ賢明というものだ。孔子も言っている。
『虐待されようが、強奪されようが、忘れてしまえばどうということもない。』
(中略)エピクテトスは1900年も昔に、われわれは自分のまいたものを刈り取る、そして運命はわれわれの悪事に対しては災いで報いると語っている。
『結局のところ、人間はだれも自分のあやまちに対してつぐないをさせられる。このことをよく知る人間は、誰にも腹を立てず、誰をうらむこともなく、誰の悪口を言うこともなく、誰も批判せず、誰をも不快にすることなく、誰をも憎まないだろう。』
(中略)リンカーンを非難し、侮辱したのは、彼自らの手で高官の地位を与えた人々、マクレラン、シューアード、スタントン、チェイスなどであった。リンカーンの法律顧問だったハーンダンによれば、それでもなおリンカーンの信念は変わらなった。
『人間を称賛する際に、その人の業績を基準にしてはならない。さらにその人のしたこと、あるいはしなかったことを非難の対象にすべきではない。なぜかといえば、われわれ人間は皆、その場の事情、境遇、周囲の状況、教育、身についた習慣、現在から未来にかけて人間を形成する遺伝子などが生み出した産物なのだ。』
『許す』必要はない。むしろそうするべきではない。子供が友人をいじめた。その時、それを叱りつけない親に、愛などない。だが、大きな愛で『赦し』たい。それこそが、人間が平和を実現させるための最大のカギである。一つだけハッキリしているのは、愛がない世界と『世界平和』は、決して結びつかないということだ。
※この黄金律には続きがある。何しろ扱うテーマが『愛』だ。それは思っている以上に計り知れない実力を秘めている。いずれここにはさらに重要な項目を付け加える予定である。
追記:2016年11月20日
この続きという記事が、これだ。
『世界平和の実現に必要なのは『真理=愛=神』の図式への理解だ。』
1.日本の教育者、新島襄
2.日本の思想家、安岡正篤
3.ドイツの哲学者、フォイエルバッハ
4.アメリカの教育者、ヘレン・ケラー
5.インドの哲学者、タゴール
6.インドの思想家、ガンジー
7.日本の思想家、最澄
8.日本の詩人、相田みつを
9.日本の作家、太宰治
10.ロシアの作家、トルストイ
11.アメリカの詩人、フロスト
12.イタリアの劇作家、ディエゴ・ファッブリ
13.ドイツの作家、ゲーテ
14.フランスの作家、ジード
15.古代ギリシャの詩人、ソフォクレス
16.日本の漫画家、やなせたかし
17.日本のタレント、美輪明宏
18.スイスの法学者、ヒルティ
19.仏教の開祖、ブッダ(釈迦)