第28の黄金律
『真の礼儀とは。』
真の礼儀や忠誠とは、表層に固執することではない。
同じ的を射た偉人(6人)
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同じ的を射た書物
7冊 |
- 『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』
- 『武士道』
- 『自分をもっと深く掘れ!』
- 『論語の教え』
- 『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』
- 『エマソン 運命を味方にする人生論』
- 『『うつ』は病気か甘えか。』
『慇懃無礼(いんぎんぶれい)』とは、表層では敬語を使って相手を敬っているように見えるが、実際の部分では相手を見下し、忌み嫌って敵視するような人間の態度のことを言う。以上の言葉が存在することからもわかるように、別に、表層上が整っているからといって、そこに礼儀があるとは限らない。
見ているところで表層を取り繕うことは、礼儀とは一切無関係なのである。そうではなく、例えば見ていないところで、恩を感じた人の背中に向けて、深々と頭を下げるのをたまに見るだろう。あれだ。あそこに真の礼儀の何たるかがある。
葬式であくびをしたり、終わった後の寿司のことを考えている人間がいるくらいなら、葬式などやらない方が良い。それが許されるのは、まだ精神未熟で識別不確かな、子供だけだ。
わかりやすいイメージ・ヒント
例えば、結婚式で流す音楽を決めたいと思う。その時、『この流行りの音楽を流さなきゃダサいと思われる』という発想がよぎり、それに支配され、流す。では、その結婚式は一体誰の為のものなのか?『その人ら』は本当に『真友』なのか?真友であればなぜ『ダサい』と思うのか?
儀式慣例、社交辞令。それらをこなす人間を見ると、『出来る人間』に見える。…という固定観念がまかり通っている。だが、まかり通っているものが常に真実なのであれば、『天動説』も『生贄』も、今でも存在しているはずだ。
蔓延している儀式慣例
これは私が個人的に強く主張したい黄金律だ。しかし、世に蔓延しているのは表層的な儀式慣例や、社交辞令である。クリスチャンでもない人間がキリスト教系の結婚式を挙げ、あるいは、神道を重んじるわけでもないのに神前式を挙げる。仏教徒でもないのに葬式は坊主にお経を読ませ、その葬式ではあくびをする人間やその後の寿司のことを考えている人間がいる。
儒教の始祖、孔子は、
ここにも書いたが、
『自分の先祖の霊でもないのにペコペコ頭を下げて拝むのは、信心深い行為をしているのではなく、 あわよくばご利益を得ようとの下賤な行為だ。』
と言っていて、私と同意見を持っていたのである。『窮地にこそ人間の真価が問われる』と言い、それまでは神や仏を軽んじていたくせに、手のひらを反して祈り始める人間を、批判した。
そしてこうも言う。
『葬儀は、形式を整えるよりは、心から哀悼の意を表すことが肝心だ』 (八佾第三-四)
あるいは、この言葉など、私の寿司の疑問とピタリ同じだ。
『死者の身内は哀しみで食事も喉を通らないほどなのだから、そのそばでは、パクパクものを食べるのは控えた方がよい』 (述而七-九)
盲目的に行われる宗教儀式
また、『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』にはこうある。
自分自身を見つめ、自由になれ
真理の探究は真の自由をもたらす。それは、伝統や権威や社会の多数意見から解放された個人の自由であるが、それ以上に真理の光に導かれて自分を知り、自分を抑制することを学ぶ人間が獲得する内なる自由である。
悟りに導く『方法』とは、実際のところ、個人の道でしかない。悟りは、宗教儀式や神への生贄を盲目的に実行することによるのではなく、『八正道』によって得られる。この八つの道とは、正しい行い、正しい瞑想、正しい知恵の実践に要約される。
(中略)ブッダの生涯の中の一つの逸話がこのことをわかりやすく説明している。ある日、ブッダが啄鉢の鉢を手に持っていると、一人の青年が奇妙な儀式を行っているのを目にした。全身ずぶぬれで、6つの方角―東西南北と地の方向に順番に額づいているのだ。ブッダは、この儀式の意味を問うた。シガーラ(この青年の名前である)は、父親が死ぬ前に、毎朝この儀式を行う様にと言い残したと明かした。
『お前の父親の忠告に従うのはもっともだ。だが、父はおそらくお前にすべてを語る時間がなかったのであろう』
とブッダは彼に言い、そしてシガーラ教誡経、あるいはシガーラの説教と呼ばれる、在家信者の道徳についての最長の説教を行った。それは次のように始まる。
『6つの方角は、聖なる道の精神に従って崇めなければならない。』
そしてブッダは、この世で各人が完璧となるために従うべき規則、罪や嘘のように根絶すべき悪業、両親、主人、友の前で守るべき振る舞いについて教えた。とくに悪業に追い込む4つの原因、不公平、敵意、愚かさ、恐れについて指摘した。こうして求道とは伝統とされている儀式を実行することではなく自分自身を変えることにあると、シガーラに示した。
イエスも、同じように自分の内面を見つめるよう弟子たちを導く。
『神の国は、実にあなたがたの間にあるのだ』(ルカ伝17章21)
と言っている。自分自身に向き合い、神と、心と意識の深奥なる真理を探し求めるよう促している。それは単に宗教儀式を忠実に行えばいいというものではない。
(中略)集団的儀式の重要性を否定するほどではなかったが、儀式は絶対的なものではなく、大事なことはもっと別のところにあるとイエスは教えた。イエスは一人ひとりが内面に向かうように導いた。真の神殿とは、人間存在の深奥であり、神と出会う心と精神のことなのである。
あらゆる冠婚葬祭で宗教儀式をやるべきだ、やればそれだけでいいと思っている人を見つけたければ、軽く周囲を見渡すだけでいい。だが、その儀式に依存しない人間の方が、儀式を創始した人間の心境に近いものを持っている。
武士道
新渡戸稲造の著書、『武士道』は、実にそうそうたる人物と照らし合わせ、その道について追及していて、奥深い。キリスト、アリストテレス、ソクラテス、プラトン、孔子、孟子、ニーチェ、エマーソン、デカルト、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉、挙に暇がない。本にはこうある。
『武士道においては不平不満を並べ立てない不屈の勇気を訓練することが行われていた。そして他方では、礼の教訓があった。それは自己の悲しみ、苦しみを外面に表して他人の湯快や平穏をかき乱すことがないように求めていた。』
自分の手前勝手な感情を堂々とひけらかし、周囲の空気を悪くする人間がいるが、そういう人は『僕は礼儀の意味を何も理解していない人間です』とひけらかしているようなものだから、やめたほうがいい。
内に誠意がなく、ただ外部に表われたものは、一つの虚礼
同じく、新渡戸稲造の著書、『自分をもっと深く掘れ!』にはこうある。
まごころを尽くせ、それが自分の『力』となる
今の青年はとかく礼節と儀式を混同している。礼節と言えば裃でも着けて四角四面に儀式ばったものと考え、非常に窮屈に思って嫌がる。しかし礼節はそんなに儀式ばったものではなく、心からの誠意を外に表現する方法である。ゆえに、単に外部の動作に表われた行為そのものを言うのではなく、まず心の中に他人に対する誠意すなわち敬意があって、それが外に表われてはじめて真の礼節となるのである。
内に誠意がなく、ただ外部に表われたものは、一つの虚礼にすぎない。礼節の形式はあっても、その精神がない。内部にかけた敬意を故意にありそうに装うのは、むしろ無礼に近い。(中略)礼節は権利ではない。権利以上のものである。だから聖人は礼節を尊重し、法律の威力だけでは世を治められない場合に、礼節の力を借りたのである。
慇懃無礼たる人間はまことに見ていて気分が悪いものである。
孔子はそうは考えなかった
慶応義塾大学を卒業し、慶應義塾高校で教職に就き、同校生徒のアンケートで最も人気のある授業をする先生として親しまれた佐久協の著書、『論語の教え』にはこうある。
上司から呼び出しがあった際には、ソク馳せ参じるくらいの俊敏さを持つといいな。
君主から相談事をうけるような立場にある者は、それなりの地位や俸給を与えられており、外出にも馬車を使うのが礼儀とされていた。ところが孔子は、呼びだしがあると身なりを整え次第、馬車に馬を付けるのを待たずに徒歩で屋敷を出た。途中で馬車が追いかけてきて孔子を拾うのだから、労力の無駄に思えるが、孔子はそうは考えなかった。呼び出しに一刻も早く応じたいという気持ちは必ず伝わると考えたのだ。孔子にとって礼儀とは表面的な挙措動作の美しさを意味するものではなく、心がけの美しさを意味するものだった。
背に向かってもう一度頭を下げる
また、本にはこうもある。
人に仕事を頼んで外国のような遠くに送り出す時には、その背に向かってもう一度頭を下げるくらいの思いやりを示すといいな。
上司を送り出す時には、その背に向かってぺこぺこと頭を下げる者はいるだろうが、部下に対しては稀だろう。ふと、振り返ると上司が自分の背に向かって深々と頭を下げていた。こんな情景を目にした部下は、いやがうえにも命じられた仕事を成功させようと張り切るだろう。(中略)孔子は、目の不自由な楽士と同席した時には、さりげなく階段の位置や、誰がどこに座っているかを声に出して説明したという。そうした作法に関しては、昔の人の方が今の人よりきめ細やかだったと言えるかもしれない。
真の礼儀とは、『表層を象る』ことではない。
旅行に出かけたお人形
頭木弘樹の著書、『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』にはこうある。
弱い者への思いやり
『花瓶に押し込められている。そのいちばん下の花が苦しまないよう、気を付けなくては。どうすればいいだろう』(会話メモ)
自分が生きづらいだけに、生きづらいものに対して、とてもやさしいのです。人間に向けられる場合も、弱い者、たとえば泣いている子供などへのカフカのやさしさは格別です。ある日、カフカが恋人のドーラといっしょに公園を散歩していました。ひとりの少女が人形をなくして泣いていました。カフカは少女に声をかけます。
『お人形はね、ちょっと旅行に出ただけなんだよ』
次の日からカフカは、人形が旅先から送ってくる手紙を書いて、毎日、少女に渡しました。当時のカフカはもう病状が重くなってきていて、残された時間は一年もありませんでした。しかし、ドーラによると、小説を書くのと同じ真剣さで、カフカは手紙を書いていたそうです。
人形は旅先でさまざまな冒険をします。手紙は三週間続きました。どういう結末にするか、カフカはかなり悩んだようです。人形は成長し、いろんな人達と出会い、ついに遠い国で幸せな結婚をします。少女はもう人形とあえないことを受け入れました。
盲目の友人
また、本にはこうもある。
人によって弱められる
作家のオスカー・バウムは、『カフカと初めて会った時のことを忘れられない』と書いています。バウムが挨拶のおじきをしたとき、カフカの髪がふっと顔に触れたのです。カフカのほうもおじきをしていたからです。バウムは感動しました。なぜなら、バウムは盲目だったからです。おじぎをしても見えないバウムに対して、黙っておじぎをした人は、他にはいなかったそうです。その後、二人の友情は生涯続きます。
表層を象ることだけに支配された人間には、こういうことはできまい。
権力者に媚を売らない心構え
数々の偉人の人生を研究する、上智大学名誉教授、渡部昇一の著書、『エマソン 運命を味方にする人生論』にはこうある。
竹村健一氏に感心したこと
竹村健一さんは、偉い人に会ったからといって、かしこまって行儀よくする人ではありませんでした。普通の人に対するのと同じような態度で、いつものパイプをくわえ、あいさつのときも座ったままでいることがありました。だから、『傲慢だ』と随分批判もされましたが、あそこまで徹底するというのはすごいことだと感心しました。
彼はこういっていました。
『普通の人に対するときと違う態度をとると、本音がいえなくなる。だから、偉い人に会う時でも、普通の人と会う時と同じ服を着て、同じ態度をとるんだ』と。
彼がホストを務めたテレビ番組は長い間、指示されていました。それは、視聴者に『この人は歯に衣着せぬ真実を語っているな』という感覚を与え続けたからに違いありません。
私はこのサイトでも彼の言葉を内省していたが、これを知り、竹村健一という人物を見直した。私も常々、そういう人間であるように努めているからだ。だから私も誤解されることが多い。しかし、自分の心底では、たとえ誰にも知られなくても、自分が信じる礼儀という一本の槍を貫いているのだ。
情報感染商法
慶應義塾大学医学部精神神経科、准教授、村松太郎の著書、『『うつ』は病気か甘えか。』にはこうある。
どんな商品でも、こんなに急に売れるのは、背景として強力な情報の感染があるのが常だ。その商品がどうしても必要なんだと人々に思わせる情報。たとえばスマホのジャケット。たとえば紫外線防止グッズの数々。たとえばインフルエンザ予防のマスク。皆が追っている。皆が必要だと言っている。すると必要なのだろうか。
(中略)皆がそれを必要だと言っているという情報から生まれたものにすぎない。持っていないと不安になる。情報から生まれた不安。特に感染力が強いのは、健康に関する情報だ。人の行動をすぐにでも左右する力がある。情報感染商法。その成功の秘訣は、はじめは商売らしさを全く見せずに、情報だけを提供すること。健康についての不安を煽る情報。その情報が空いての心に浸透したころを見計らって、対策としての商品をさっと出す。しかもその商品を皆が使っているという情報をあわせれば、商談成立、それどころか、感謝さえされかねない。
目の前に、『救世主』的な存在が現れた。だが、もしかしたらその救世主は、『詐欺師』なのかもしれない。
大岡裁き
本にはこうもある。
日本の裁判には、大岡裁きという伝統がある。江戸中期の江戸町奉行、大岡忠相の数々の裁きに由来する。決して法の論理は曲げず、公正で、しかし人情味のある裁定。特に有名なのは落語にもなっている。『三方一両損』だ。
左官屋が三両入った財布を拾う。入っていた印形から、落とし主は大工だとわかったので届けに行ったが、大工は落とした金はもう自分の物ではないと言って受け取ろうとしない。左官屋は左官屋で、金欲しさに届けたのではないからと言って受け取ろうとしない。訴えを受けた大岡越前守は、自分の懐から一両出し、
『正直な両人に、二両ずつを褒美としてつかわす。二人とも三両懐に入るところを二両となったのだから一両の損。奉行も一両出したのだから一両の損。これ呼んで三方一両損なり』
で無事解決。理屈と人情を絶妙の比率で融合させ、人々にさすがお奉行様と言わせる裁定。
『真の礼儀』の意味を本当に知っているだろうか。自分の胸に手を当ててよく考えたいところだ。
利益を得る医者と病院を訪れた私
利益を得る医者と病院を訪れた私
以前私の祖母が、長野の病院に怪我で入院した。私は、長野まで見舞いに行った。すると祖母は、そのことについて喜んではいるようだったが、私がその院内の看護師や医師に必要以上に挨拶をしなかったのを見て、私との話の最中に、その話をさえぎって、これみよがしに私に、
『あの先生は若くて、礼儀もしっかりしてる。』
と言った。戦中、戦後を生きた祖母にとって、社交辞令と勢いだけでやり抜けた高度経済成長期では、そういうことを表面的にでも重んじてさえいれば、仕事が入ったのだろう。まるで、私がそこで『社交辞令』を重んじなかったことを遠まわしに、揶揄して、私を『未熟だ』と批判するかのような言い回しだった。
だが、東京に住み、忙しく会社を経営する毎日を送る私が『長野まで見舞いに行った』ことと、仕事として利益が発生している若き医師が、数年後には名前すら忘れている他人である一人の青年が『社交辞令の挨拶をしっかりとしていた』ことと、一体どちらが『礼儀』を重んじていると思うだろうか。
そして祖母は私がその少し前にその医師の隣を歩く看護師には既に挨拶をしていたこと、あるいは、私と祖母が話をしている最中に割り込んで挨拶をしてきたその医師の『無礼な態度』については、一体どのような評価を下していたのだろうか。
こういうことをたくさん積み重ねて、80を超える祖母の威厳は今、失われている。彼女は表層的なものに支配され、人生を迷ってしまったようだ。私は彼女の命に当然、孫として敬意を示すが、彼女の人生が『見本』だと思うことはない。
この3年後、祖母は私にその無礼の数々を謝罪することができた。88歳の頃だった。この記事にその詳細を書いた。
立川談志と三遊亭圓楽
立川談志と三遊亭圓楽
立川談志と5代目三遊亭圓楽は、無二の親友だった。だが、そんな親友のはずの圓楽がこの世を去ったとき、立川談志はマスコミに一切コメントを出さず、無言を貫いた。あるとき、圓楽の弟子である楽太郎が『6代目三遊亭圓楽』の襲名披露公演を開くことになると、病気で寝込んでいるはずの立川談志が登場し、立川志の輔の代わりに襲名披露の口上に参加した。談志曰く、
『たまたま行きつけの飲み屋が近かったから。』
しかし楽太郎は、そんな立川談志の行動から、先代圓楽に対する熱い思いを垣間見て、胸が熱くなった。楽太郎は、
この人はこうやって、あの世にいる先代に、無二の親友に対し、誠意を尽くしているんだ。
そう思ったという。口先だけのコメントや表層的な儀式慣例など、こうした真の礼儀と比べた時、あまりにも浅薄であり、虚しい。
『水戸黄門』こと、徳川光圀は言った。
『こういう考え方』があるのだ。それでも、慣習に同調、追従し、あるいは自分の手前勝手な感情を無関係の人に擦り付けるその姿が本当に人間として正しいと思うなら、これからも未来永劫それを続ければいい。だが、それでも『サイン』は出続けるだろう。そのサインこそは、この話のカギとなるものである。そのサインの最たる例は、『戦争』である。
1.日本の教育者、新渡戸稲造
2.北アフリカの哲学者、アウグスティヌス
3.ドイツの哲学者、ニーチェ
4.フランスの作家、ジャン・ド・ラ・ブリュイエール
5.日本のタレント、タモリ
6.儒教の始祖、孔子
7.仏教の開祖、ブッダ(釈迦)(釈迦)