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黒ひげ『やめときな 正義だ悪だと口にするのは!!…この世のどこを探しても答えはねぇだろくだらねぇ!!』

選択肢の多様性、法律の矛盾、人の未熟、環境の格差、この世を見渡せば、確かに一見して見えるのは、弱肉強食の世界。生き残れば勝ち、死ねば終わりのサバイバル。他の動物もそれは同じように見える。だが、百獣の王ライオンや、屈強なグリズリーが、なぜ他の動物を皆殺しにしたり、あるいは、孤高のトラは、群れを支配しないのか。獰猛なカバは、なぜ”隠れた猛者”なのか。本当に弱肉強食であれば、この世には、こうした強い生命しか残っていないはずだ。

 

この地球は、『生物多様性』で成り立っている。一つの生命が失われれば、それを糧にしている一つの生命が絶滅の危機に瀕する。すべては、『循環』しているのだ。我々は生きるために他の生命を食べ、その残骸や死骸は土壌にて栄養になり、他の生命や、植物に循環され、植物は酸素を作り、またこの地球を守っていく。

 

確かに”黒ひげ”は、一番”動物らしい”生き方をしているようにも見える。だが彼の人生には、”尊さ”が無い。人生に対する、”矜持”がない。”力”や金さえあれば生きれた命を、綺麗事やクソみたいな一部の支配者が、生き残るために奪い去るという理不尽を体験したのなら、彼のような歪曲した人格が出来上がる。

 

この世には、『代償の法則』というものが存在する。今、ATARUというドラマでも取り上げられているが、以前書いた『サヴァン症候群から学ぶこと』でも、『代償の法則』について説明している。『代償の法則』とは、何かが損失すると、その代償に、別の何かが抜きんでる。という法則である。

 

人間には、いろいろな『ゲージ』がある。人が『幸せだ』と感じるのは、この”ゲージが満たされた”からである。人は常に、何かのゲージを満たそうとして、躍起になって生きている。なぜならそれは、『幸せ』への道だからだ。簡単に言えば、『食欲のゲージ』が枯渇すれば不満を覚えるが、満たされれば、幸福感を覚える。そこで私が以前から着目していたのは、『枯渇したゲージを穴埋めしようとして爆発する力』の甚大さである。

 

例えば、『ドカ食い』という衝動は、お腹が減りすぎて、『満腹中枢のゲージ』が減りすぎたためそれを一気に満たそうとして起こる。もっと細かく言えば、血糖値が減りすぎたため、血糖値を上げようと、糖分を欲している身体が、本能として身体を突き動かすのだ。貧乏から金持ちに成り上がる人の話はよく聞くと思う。私の周りの『金持ち』にも、何人そういう人がいるか数えきれない。彼らは、幼少の頃に散々お金で不自由、不憫な思いをしてきた。そんな底をついた彼らの『経済的なゲージ』が、彼らの頭の中を金持ちへの道でいっぱいにする。

 

お金さえあれば…

 

そうした彼らの、執着心にも似た強い気持ちが生み出されるのも、過去に『経済的なゲージ』が底をついて不憫な思いをした思い出が、心に焼き付いて、離れないからだ。

 

あるワガママな人間がいる。なぜ彼はワガママなのだろうか。それは、『自分はワガママにふるまってもいいはずだ。その権利があるはずだ。』という強い衝動からくる。では、なぜそう考えて生きているのだろうか。私の知人にもいたが、その場合、幼いころに、包丁が出てくるほどの夫婦喧嘩を目の当たりにし、物ごころつかない(人格形成が未熟な)うちに両親が離婚している。それ以来父親に育てられ、母親の愛を知らない。

 

母親というものは、自分の子供に対し、特別な愛情を注ぐものだ。すべての母親がいる子供は、この特別な愛情を受けて、育っている。だが、彼の場合は違うのだ。だから心の底に、こう焼き付いている。

 

(俺は、お前らとは違い、特別な愛情を受けていない。だから、俺だって特別扱いされてもいいはずだ。)

 

そうやって根付いた考え方が、彼がワガママな人格たる所以である。つまり、この場合のゲージはといえば、『愛情というゲージ』である。ナポレオン・ヒルの『成功哲学』にはこうある。

性衝動を他の創造的なエネルギーに転換する方法を知っている人は幸せです。ナポレオン・ヒル博士は、成功者の研究によって、次のことを明記しています。

 

1.偉大な成功を収めた人は、強い性欲の持ち主であった。なおかつ、その性衝動をうまく転換する技術を自らの経験で学んだ人でもある。

2.莫大な財産を築いた人や文学、産業、芸術、あるいは専門分野で名を成した人々は、何らかの形で女性の影響を受けた人々である。

 

つまり、枯渇して満たそうとする『性欲のゲージ』。その性欲という強いエネルギーを、他の創造的な何かにエネルギー転換することができれば、大きな結果を生むと説いているのだ。私も含めた周りの会社社長や仕事ができる人間を見ても、皆強い性欲を持った人間が多い。だが、強い性欲を転換できる人と、それに支配されている人に分かれていて、やはり成功的結果を生み出している人間は、その欲望の支配と転換の技術を心得ている人間である。

 

つまり、『性欲のゲージ』を枯渇させ、飢えさせ、あるいは、枯渇してるつもりはないが、人よりも旺盛な為に枯渇(餓え)が早く、それを満たそうとするエネルギーを仕事に転換するから、凡人にとって異常な結果を生みだすことが可能になるのだ。仕事に使命を背負った人間がなかなか結婚しない理由に、

『なんか、エネルギーがそぎ落とされるような気がする。そのハングリー精神で、今までやってきたようなところがあるから。 』

 

と考えている人は、少なくないだろう。その背景には、こうした『代償の法則』が絡んでいるのだ。

 

『やめときな 正義だ悪だと口にするのは!!…この世のどこを探しても答えはねぇだろくだらねェ!!』

 

確かに、目に見えて広がる世界を一見すると、黒ひげの言うように弱肉強食かもしれない。だが、『生物多様性』や『循環型世界』のレベルまで潜ってみると、いささか、そうとも言い切れなくなってくる。黒ひげを含めたこの世の”悪”とは、オギャアと生まれていきなり”悪”だったわけではない。単なる、『環境の差異』だ。ルフィが黒ひげの環境で生まれていたのなら、ルフィは黒ひげの人格になっていた。ただ、それだけだ。以前の私なら、黒ひげにとても共感できた。

 

(きっと、自分ではどうしようもない”力”に、ねじ伏せられてきたんだろうなあ。)

 

そう考えてあげた。だがこの世には、”同じように”甚大な代償を背負う運命にあっても、”力”に屈しないで生きる人間もいる。”力”に取り憑かれて(支配されて、屈して)、この世の計り知れないスケール(宇宙、時間、心)の中で、チリ(その他大勢の一人)となるか。あるいは、唯一の存在証明である自分の”意志”を尊重し、それを曲げることなく生き貫く”矜持”を持つか。その判断で、自分の人生の『器』が決まる。

 

開き直っていつ死んでもいいほど自分を見下しているなら別だが、この世を支配するとか、そういうことを考えているのであれば、後者のような人格でなければ、破たんする。この世とは、絶対的な”力”一つが抜きんでていたって、一つに取りまとめることはできないのだ。黒ひげのような人間は、万に一つ人間のリーダーの座を”力”で強引に奪い取っても、地球のリーダーにはなれないということだ。だとしたらそれは、虚しい。最後に残るのは、水も大地も酸素も失って、ただ虚無に広がって荒廃した惑星。豊かな暮らしを送ろうと思ってねじ伏せた延長線上は、虚無なのだ。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。