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ゲンゾウ『死んでしまっては全てが終わる!私が死んでも戦うことをやめるな!』

人生とは、死んだらそこで、全てが終わるのだろうか。オカルトやスピリチュアルな話などする気は一切ない。だが、死んだ時、目の前が真っ暗になり、音もなく、匂いもなく、感覚もなく、意志もなく、賑やかなテレビがプツンと消え、ただの空虚な物になるように、それで全てが終わるのだろうか。私はそうは思わない。

 

こういうことがあった。世界遺産の取材で日本を飛びまわっている時、その日、兵庫県は、姫路の『姫路城』へと向かう途中だった。姫路城がちょうど大規模の改修工事をしている真っ最中だったので、メインの天守閣が見れなかったということもあり、私は隣にある庭園、『好古園』へと足を運んだ。紅葉がとても綺麗で、庭園を眺めながら食べるアナゴやソバは格別だった。

 

庭園を観る機会なんてめったにない。20代で、しかも遊びと言えば夜遊びしか頭になかった人間なら、もってのほかだ。だが、庭園を観ているうちに思った。世界遺産の取材も、姫路城を終えたら後一つ、という佳境にあったことも、理由の一つにあったかもしれない。(ああ。落ち着くなー。庭園って。)ピタリと止まった水面には、美しく紅葉したモミジの葉が彩り、よく見ると生れてはじめて見るほどの、立派な鯉が優雅に泳ぐ。時間を忘れ、心が安らぎ、何とも言えない精神の安定感を得た。

 

脳科学的に言えば、興奮すると活性化するホルモンは『ドーパミン』だが、安らぎを得て、安定すると活性化するのは『セロトニン』。確かに夜遊びの時にはこのドーパミンがぐるぐると脳を駆け巡っていたが、こうしたセロトニンを体験するのは、実に久しぶりで、懐かしかった。そして、祖母、母親、妹の、親子三代にアルバムを作って渡した日、好古園の説明の時、少しだけその心境を話すと、祖母と母親は、少し感慨深そうに、言った。

『…おじいちゃんも、庭園が好きだったんだよ。』

 

…あなたにこの意味がわかるだろうか?

 

 『死んでしまっては全てが終わる!私が死んでも戦うことをやめるな!』

 

DNA、遺伝子、細胞、意志、言い方はなんだっていい。我々の”命”は、 “見た景色”は、 “感じた想い”は、無意識にも遠い祖先からしっかりと受け継がれているのであり、そしてそれは我々の子孫へも、同じように受け継がれていく。

 

だから自殺を考えていたり、生きることを、挑戦することを、経験を、幸せな家庭を、子孫を諦めようとしている人、このことについて、一度よく考えてみてはどうだろうか。私はこれからも、命ある限り、経験し続けていくつもりだ。それが、子孫への最高の、バトンタッチだと思うから。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。