さんざん『弱肉強食』、『強者生存』ではない、『適者生存』なのだと言ってきたが、『適者』とはそもそも、生きるに値する、適する人間のことでもある。だから例えば、いくら博愛に溢れ、大らかで、棘一つない温厚な人間でも、生きる能力を備えていなければ、生きることはできない。数えきれない今までの『人生』の中には、きっとこういう思いのたけを叫んだ親がいるだろう。
(なぜ、なぜこの子が死ぬのか。なぜ何の罪もない、優しくて、いつも生きる希望を与えてくれる太陽のようなこの子が死んで、悪党は生きているのか。神は、いないのか。)
『そんなに生きたきゃなぜ弱いっ!!!!』
恩師の言葉の前半を思い出す。『厳しくなければ生きていけない。でも、優しくなければ生きる資格はない。』『厳しい』とは、何も人にビシバシと常に体罰を与え、ピリピリとして、チリ一つ落ちているだけで激昂するということではない。『厳しい人』とは、『現実を直視する人』である。『現実』とは、『厳しい世界』なのである。現実が厳しい世界なのに、思い上がってそれを軽く見ている人間は、必ずしっぺ返しを食らう。足元をすくわれる。膨張が弾ける。
切羽詰まった実の家族が、借金の連帯保証人を迫り、そのまま蒸発することもあるだろう。うまくいっていた事業や仕事が、世界情勢や外部要因の影響で、破綻することもあるだろう。幸せな家庭を築き始めていた矢先に、最愛の子供が不慮の事故で亡くなってしまうこともあるだろう。世の中は、『厳しい』のだ。それを直視して逃げない人こそ、『厳しい人』なのだ。生きる為には、厳しくもなければ、ならない。
Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
※画像は以下の参考文献から引用しています。
この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。