人類最古の時代、100万年も200万年も前、旧石器時代から人間は戦っていた。石器、青銅、鉄、セラミック、鉱石をもってして更に硬い鉱石を削り、磨き上げ、長い時代を経て、人間の進化とともに、より実践的な打刀(うちがたな)や脇差(わきさし)へと姿かたちを変えていくが、 明治9年(1876年)に、廃刀令によって帯刀は禁止された。武士の魂を失うということで反対もあったが、時代の流れが、武器を不要とし、淘汰していった。
だが今でもなお続いている、止まない戦争や、核保有問題、基地問題、テロといった世界情勢を見れば、人間と武器との関係は、切っても切れないようにさえ見える。150年前までは、日本人も刀を所持していた。つまり、人間の長い歴史の中で、武器を所持しない歴史の方が圧倒的に浅い。まだまだ人間の、特に『狩り』の役目を請け負ってきた、男のDNAには『野性』が根付いていて、それが消えるのには相当な時間を要するだろう。
廃刀令から120年、つまり今から10年前、戦いの魂が抜けきれないあるアウトローに身を置く人間が、実話雑誌のインタビューで、こういう話をしていた。
『俺は飲み屋で酒を飲んでいても、気を抜くことなんてない。もしかしたら、敵が襲撃してくるかもしれないからな。特に兄貴やオジキがいるときなんかは、お付き合いで酒を飲んで酔いが回ったとしても、必ず襲撃に備えた『最短の反撃法』を考えている。例えば、まず目の前のボトルを叩き割り、刃物を作る。自分の座る丸椅子を蹴飛ばして間合いを取って、オジキ達を守らなければならないからな。そういうことを考えながら、いつも酒を飲んでるよ。』
『剣士たる者 いかなる時も酒に呑まれるようなバカはやらねぇもんさ』
今では戦いの場は、『戦』から会社経営や国家運営へと場を移行したように思える。戦国時代をひきずる一部のアウトローもまだまだいるが、それ自体は健全で、望ましいことだ。人間は幾多の混乱や不幸を乗り越え、秩序のレベルを進化させた。だが。その中でも、酒の力を借りて取引先と契約を交わしたり、色恋を持って相手を呑もうとしたり、人間に本能がある限り、その本能に直接訴えかけて示唆するやり方は、いつの時代も同じ。いつの時代でも”誘惑”はなくなることはない。いつだって誘惑に負けず、決して自分を見失わない人間こそが、自分の人生をやり遂げるのだ。『勝って奢らず、負けて腐らず』。平常心。そして、克己心である。
Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
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