自分の精神年齢は、いくつだと思うか。人間の寿命の限界は100年を原則に考えれば大差はないが、人間の精神年齢の限界は、100歳ではない。過去の歴史や先人たちの残した意見をしっかりと聞き入れ、バトンを受け取り、自らの叡智とすれば、精神年齢を受け継げる。例えば中国拳法は3000年という長い時間をかけて、今の無駄のない型を築き上げた。失敗、成功、また失敗。そうやって試行錯誤を繰り返し繰り返して、磨き上げたからこそ、卓越しているのだ。
その歴史を受け継がず、思い上がって同じことをゼロからやろうと思えば、そこに到達するまでに、また3000年かかる。例え表面的に”同じ型が1年で完成した”と思っても、それは同じではない。何の為に始まったのかという起因や、何のために戦うのかという極意、何のために遺すのかという真意といった、3000年の歴史の中で、幾多もの失敗と成功、生と死が重なり合って積み上がった境地には、1年という時間の中では到底達することができないからだ。
『…あなたには先人の足跡を尊ぶ気持ちが全くない様ね』
『私は過去にこだわらない質なのだ!!』
『愚か者は極まってそう言うわ』
こういう言葉がある。
byジャン・パウル
読むべき本や、見るべき歴史を見誤らなければ、全て”答え”は書いてあるのだ。聖書がもはや20億人の人間に読まれるまで根付いているのは、聖書には、飢饉や天災はもちろん、ありとあらゆる森羅万象が全て書き記してあるからであり、仏教でも、最高位の”ブッダ”に位置する『釈迦』が言った言葉に、『諸行無常』(世の中の一切のものは常に変化し生滅して、永久不変なものはないこと。)というものがある。これらは極めて、真実に近い、『答え』なのだ。
100%かどうかは私もまだ言い切れない。だが、限りなくそれに近いと断言できる。一時は親を死ぬほど憎んだほどの、宗教嫌いの私がここまで言うのだ。宗教だろうが無宗教だろうが、人は皆、真理(答え)を探して生きている。どう生きて、どう死ねばいいのか、という答えを。どうやったら失敗するか、どうやったら成功するか、なにが”膨張”で、なにが”成長”なのか、どんな教育が、本当に正しいのか。それを得るためには、全てを受け入れる謙虚さと、知性を追い求める崇高な探究心を、燃やさなければならない。
byゲーテ
現在私は28歳。3年以上も前、ふと私の周りを見渡したら恋人と快楽のことで頭がいっぱいの人間だらけだったことに気付いた。そしてかくいう私も、そういう人間だった。そして、自分の性格上、自分自身がそれに気付く勇気を持たなければ、一生この上はない事実と、人の道標となる生き方をしなければならない責任感に追われたのだ。私の周りには、何も変化が起きていない。むしろ、こういう私を『自分たちとは考え方が違う』と締め出すことによって、更なる”守り”に入ってしまったように見える。私の行動を、”無駄死に”にはしないように、彼らにはよく考えて欲しいと願う。後は私は、自分の人生を生き貫いて、見てもらうことしかできないのだ。
ゲーテは、凡人に向けてこの言葉を言っている。凡人というのは、パレートの法則(80対20の法則)で言えば、人間の8割である。私は天才ではないが、凡人で終わるつもりはない。だからゲーテが、一番難しいと言う、その”知性への探求”から、目を背けなかったのだ。私の人生で、私よりも金を持っている人間には腐るほど出会った。だが、私が恩師と仰ぐ人間より、優れた人間には一人も出会っていない。
私は、その恩師たちに抜け目なく矯正され、太鼓判を押してもらったことに誇りを持っている。確固たる自信を持っている。例えこの先私の理解者が現れなくても、私には死に物狂いでぶつかって戦ってきた人間と、この世で初めて私を正当に評価してくれた恩師たちの存在が在る限り、私は、この世に悔いを残さない。先人、ゲーテの言うその言葉に耳を傾ける。ただそれだけのことができない。私が悔いを残す人生とは、そういう人生の方だ。
Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
※画像は以下の参考文献から引用しています。
この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。