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『人生は儚い。だが、だからといってそれがくよくよと下を向いて生きていく理由にはならない。儚いからこそ尊いのだ。』

意味

儚いからこそ尊い、この言葉に秘められた価値に気づいたのは、割と早い段階からだった。だが、それを具体的に説明できるのに、結構な時間がかかった。

 

あるとき、『アウラ』という概念があることを知った。それは、『儚いからこそ尊い』という価値を指し示す言葉だった。例えば夏の夜空に打ち上がる花火だ。あれを見に人々は浴衣に着替え、行列を作って最高のポイントに出かける。一大イベントなのだ。とてもロマンチックな気分に浸ることができ、心が充足することを覚える。

 

だが、もしあれが『一生打ち上がっている』としたらどうだろうか。本当に人は、同じように浴衣に着替え、毎日毎日行列を作って最高のポイントに出かけようと思うだろうか。金環日食や、スーパームーンなどもそうだ。滅多にないし、それを見れる時間も限られている。だが、もしそれが当たり前のように毎日空を見上げればそこにあるとしたなら、人々は本当に天体望遠鏡をのぞき込み、ロマンチックな気分に浸れることが出来るだろうか。

 

なぜだろうか。なぜ同じ『花火』であり、同じ『現象』なのに、前者と後者では価値が著しく違うように感じるのだろうか。それこそが『アウラ』の正体だ。儚いからこそ価値が出るもの。そしてその最たるものは、我々の命だ。もちろん、人間だけではない。生きとし生けるもの全ての命が、その対象なのだ。

 

私はこのアウラの価値を幼少の頃から感じることがあった。私に限らず、多くの人が同じことを感じていただろう。だが、それがなぜ切なく、そして尊いものなのかということを頭で理解していなかった。しかし、アウラという価値の意味を知った。だからもう大丈夫だ。意識がリニューアルされ、知識が更新されたのだ。

 

人生は儚い。だが、だからといってそれがくよくよと下を向いて生きていく理由にはならない。儚いからこそ尊いのだ。

 

 

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『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』