儒教の始祖 孔子(画像)
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内省
例えば目の上のたん瘤がいたとする。彼が、亡くなったとする。自分としてはそれについてとても複雑な心境で、確かに、たん瘤が無くなってせいせいしたという気持ちもあるのだが、それだけで留めてしまっては人として失格の烙印を押されることもわかっている。
だが確かに、彼がいる間の環境は『自分にとって』とても劣悪で、窮屈だった。だからその間に、『こうした方が良い』、『なぜそうしないのか』、という思いはいつも頭から離れなかったし、事実、自分はそのやり方で、とても嫌な思いをたくさんした。
だがどうするべきか。孔子は、こと父における態度としてこう言っている。
『喪の明ける三年間くらいは、そのやり方を踏襲したいものだ。』
死んだ者は、もうこの世にはいないのだ。だが自分は生きているし、生きる喜び(苦楽)を堪能できる。その決定的な事実だけで、それまでのことは水に流せないだろうか。
いや少なくとも、孔子の言うように三年間ぐらいは、彼の命を、尊ぶことを覚えたいものだ。彼のやり方が好きだった人もいるのだ。彼のやり方が残るということは、彼が好きだった人にすれば、『遺産』である。彼の命も、その彼を好きだった人の気持ちも考えて、そう配慮する心を、覚えたいものだ。
『漸進(ぜんしん)』とは、 順を追ってだんだんに進むことを言う。『急進』でなくても、生きているという無限の可能性をかみしめる余裕を持つような、漸進主義の大きな器の人間になりたいものである。
参照文献
子曰く、父いませばその志を観、父没すればその行いを視る。三年父の道を改むることなきは、孝というべし。
関連する『黄金律』
『流動変化が避けられないことを知っているかどうかは、人間の運命を大きく変える。』