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孔子『自分を過小評価してはならない。悪の道に逸れることなど、誰にでもできる。』(超訳)

儒教の始祖 孔子画像

内省

私はこのことをよく知っている。誰にでもできる。『環境』次第だ。ポテンシャル(腕力、体力、知力)等は一ミリも関係ない。別に誰だって出来る。ただ、一線を超えるだけだ。引かれている境界線を超すだけ。言うなれば、足さえあれば赤子にでもできる。それが『悪の道に逸れる』ということだ。

 

ただ『環境』によって、 それを壊したくないと思う人はその境界線を越えないし、別に今の環境がどうなったっていい、むしろ変わってほしいと思っている人は、 境界線を越えようと思う。それだけの差だ。

 

つまるところ、別に誰にでもできる。『守りたい環境』があるかないかだけだ。だから、思い上がってはならない。別にそれは、『はじめの一歩』にはならない。そんなに勇猛果敢な、名誉あるものではないのだ。

 

同じように、『善の道を歩く』ことも容易だ。誰にでもできる。このことを捻じ曲げて理解してはならない。悲劇のヒーロー、ヒロインを気取る必要は一切ないし、勇猛果敢な人間だと過信する必要もないのだ。過大評価も、過小評価も、時間の無駄である。

 

 

注意

※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、運営者が独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

参照文献

述而第七-二十九

子曰く、仁、遠からんや、我れ仁を欲すれば、ここに仁至る。

関連する『黄金律

『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』

『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』

『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』

『「生きる」ということの本当の意味とは。』

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