古代ギリシャ哲学者 ソクラテス(画像)
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内省
『悪法も、また、法なり。』
この意味は、悪い法律であっても法は法であるから、通用している間はそれを守らなければならないということ。法律とはそういうものだ。『江戸散歩』にはこうある。
例えば、今からおよそ350年前、明暦元年(1655年)に、幕府が公布した『江戸市中法度』によれば、不倫は男女同罪とされ、夫は、密通した間男をその場で殺してもよいと定められていた。実際、妻を寝取られた武士が現場を押さえた場合は、即座にその不倫相手を斬り殺すことも許されていたのだ。
さらに、寛保2年(1742年)の『公家方御定書』でも、不倫した妻と相手の間男は死罪とされた。男は裸馬に乗せられて市中を引き回しのうえ、斬首した首を刑場で三日間さらす獄門。女は斬首の刑に処されることになった。当時の川柳にも「枯れ木の枝と間男は登りかけたら命がけ」と詠まれている。
それが今ではどうか。刀を持つことが当然のステータスだった時代からすれば、まるで異次元の法の概念が、当たり前になっている。仇討や、切腹をしようものなら、道を踏み外した哀れな人間だと、数えられてしまうだろう。だが、当時なら”英断”だった。これについて、どう考えるか。
人間は常に、法律や常識や、多数決の意見に囚われて生きていると考えても仕方ない。その法律が正しいとか、間違っているとかではなく、人間とは、そういう生き方しかできないのだ。動物や昆虫には、法律すらない。そう考えるともしかしたら人間は、地球の覇者のフリをしているが、法律がなければ秩序を保てず、生き方を支配できない、一番哀れな生命なのかもしれない。
※これらの言葉は参考文献『これならわかるソクラテスの言葉』や史実に基づき、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。