古代ギリシャ哲学者 ソクラテス(画像)
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内省
『かりにわたしが政治に口を出していたら、とっくの昔に、権力に殺されていただろう。自分の為にも、みなさんのためにも、何の役にも立つことなく。』
ソクラテスのこの言葉は、見て見ぬフリが出来ない。ソクラテスほどの知者でも、権力によって潰され、殺される。キリストもそうだが、知性があればあるほど死に近づくというのは、一体どういうことなのだろうか。
簡単に言うと、『出る杭は打たれる』ということである。正しければ正しいほど、死に近づく。そうなると、ソクラテスが言うように、
『お別れの時が来た。君たちは生きながらえるため、私は死ぬために、別れるのだ。 君たちと私のどちらがより幸福なのだろうか?答えることが出来るのは、神のみである。』
ということなのかもしれない。真実を隠蔽しているからこそ、平和という歯車が回っている。その隠蔽された真実を紐解こうとすると、当然歯車は乱れ、積み上げた全てのバランスが崩れる。それゆえに、隠蔽しているのだ。『歯車を回す』ことを何よりも優先的に考えた結果、やむを得ず隠蔽したのだから。
だが、真理から見れば『隠蔽』など到底許されるわけがない。それに立ち向かう人間が勇ましく見えるのは、ソクラテスだけではなく、幾多の映画やドラマなどでも見て取れることが出来るだろう。隠蔽して歯車を回し、被害を最小限に抑えるか、隠蔽までして回す歯車に、価値はないと考えるか、人間にはそういう規範意識が問われているのだ。
私はこういうことを俯瞰で考えたとき、こういうキーワードが頭に浮かぶ。
『依存症、クスリ漬け、洗脳、麻痺』
人間は、社会、家族、生活、これらが常に、『安全』であってほしいと願っている。 その為、『出る杭』を打つ傾向がある。自分にとってそういう存在は、『不都合』だからだ。不都合。求めていない。自分たちが求めているのは、身の安全である。それを、『真実』だが何だか知らないが、そういう『物騒』なもので、こねくり回されるのは苦痛だと感じる。
もっと安全でいたい。もっと平安でいたい。もっと綺麗でいたい。そうじゃないと、生きていけない。家族を守れない。生きる意義を見いだせない。だから、見て見ぬフリをする。世の中の『不都合な真実』から目を逸らし、時には隠蔽することも、厭わない。真実よりも、真理よりも大事なのは、目の前にある平安である。
まるで、『依存症』だ。正しければ正しいほど、依存症の人間によって、世の中から抹消される。人間にとって正しい生き方とは、一体どういう人生のことを言うのだろうか。
簡単には答えは出そうもない。だが、とにかくこのことから目を逸らした状態では、およそ『教育』など出来ないことはわかっている。そして、真実を隠蔽された世界で生きることほど、虚しさを感じるものはない、ということも。
※これらの言葉は参考文献『これならわかるソクラテスの言葉』や史実に基づき、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。
関連する『黄金律』
『人の評価に依存することの愚かさを知れ。依存しないなら強い。』