仏教の開祖 釈迦(画像)
Contents|目次
内省
『我他彼此(がたぴし)』とは、物と物とがぶつかり合って慌ただしそうな音を立てるさま。また、その音。あるいは、人間関係や組織の機構などが円滑でないさま、を表す表現である。
とかく人は、自分の人生を有意義にしたいあまりに、他人と比べたがるものだ。それを『社会的比較』というが、その社会的比較によって、人は幸福にもなれば不幸にもなるジレンマを抱えている。
例えば10組の家があって、その10組の主人がもらう月給が、みんな同じ50万円だとしたら、皆は、社会的比較によって、幸福になるだろう。また、自分だけ60万円の場合でも、幸福になるだろう。だが、自分だけ30万円の場合は、人はその劣等感を正当化し、表面では気にしないふりをしても、心底では妬み、嫉む気持ちに侵されているだろう。そういうものだ。
ここで、『我他彼此(がたぴし)』を思い出そう。そもそも『我他彼此(がたぴし)』とは、違う物と、違う物がぶつかり合うことによる、支障の話である。『我他彼此(がたぴし)』してはいけないのだ。そのためには、自分のことも、他人のことも、同じひとくくりの人間として、公正に見る器の広さを持つべし。
かつて、私と一瞬仕事をしたある公認会計士がいたが、彼は、自分の手柄のことで常に頭がいっぱいだった。彼は幾多もの小細工を仕掛け、私の主導権を取ろうとしたが、当然無駄に終わった。だが、向こうは『当然』だとは思っていなかった。むしろ、向こうの思い通りにいくことが、『当然』だと思っていたのだ。その採算を合わせる為、損の穴を埋めるために彼は、私の資産を横領し、逃げた。
彼がその後、この真実についてどう歪曲して正当化しているかは知らないし、眼中にもない。ただ一つ言えるのは、『自分の手柄』を考えすぎた彼は決して、幸せそうには見えないのである。私としては、私の方にも責任があるはずだ、と考え、教訓にするしかない。とにかく、我がぶつかり合うのは、人として醜い。在るべき姿ではないのだ。
参照文献
関連する『黄金律』
『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』
『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』
『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』
『「生きる」ということの本当の意味とは。』