仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
私は『見栄』がトラウマ的に大嫌いだから、専門用語を使って人よりも優位に立とうとすることは幼少の頃から意識的にしてこなかった。しかし成長し、成人した私の周りには、こういう人間がいなくなることはなかった。皆、自分が人より優位に立ちたいと思っていて、誇示したいし、ひけらかしたいし、優越感に浸りたい。見栄とプライドの意味をはき違えているのだ。
だが、専門用語を使えば必ずしも相手が黙ってひれ伏すとは限らない。
(わあ、すごい賢い人だな)
と思う人、
(え、意味がよくわからない)
と思う人、
(器の小さい人だなあ。今度は逆にこっちにしかわからない専門用語でまくしたてよう)
と思う人、様々な人がいるのだ。その中で、
(わあ、すごい賢い人だな)
と思う人だけに賢いと思われたいというのであれば、そもそも彼の器は小さく、賢くはないだろう。全ての人にわかりやすく伝えるのが、伝え手の責任であり、聡明な人間である。それがわからない人間は、そもそも人に何かを伝えてはならないのである。
参照文献
仏典
経集841。
関連する『黄金律』
『人の評価に依存することの愚かさを知れ。依存しないなら強い。』
『人間が戦うべき相手は外にはいない。「内」にいるのだ。』