仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
この言い回しをすることは、昨日書いた、
でもわかるが、そもそも、たった一度の人生から『逃げる』という選択肢は、最初から『ない』と思った方が手っ取り早い。
だが、なぜ『ある』のか。それが人生の複雑なところだ。例えば、仏教やキリスト教という宗教が出来た当時、人が、人を所有物として扱う、奴隷制度があった。もうそれだけでもこの世から目を逸らしたくなる。次いで、法律もままらない、病の治療法も圧倒的に少ない、それどころか、薬も、食事も、本も風呂も衣服もない。死体が転がり、異臭が広がり、罪と混沌が今よりもうんと蔓延していた。
もちろん今と比べれば圧倒的に劣悪だ。そう考えたら、確かに『逃げる』選択肢が『ある』ことにはうなづいてしまう。だが、例えば『そこ』からの連鎖で、それが永久に続いていいと思うだろうか。負の連鎖が。いや、それとこれとは違う話だ。こういう言葉がある。
『刑務所の鉄格子の間から、二人の男が外を見た。一人は泥を眺め、一人は星を眺めた。』
何千年前?何万年前?過去?劣悪?関係ない。星はいつでも空にある。だが『泥』もある。未来永劫、その両方があるということから目を逸らしてはならない。
参照文献
仏典
法句経17。
関連する『黄金律』
『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』
『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』
『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』
『「生きる」ということの本当の意味とは。』