仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
一見するとこの言葉は、何かこう排他的なような、自分だけが生き延びればいいというような、冷たい人間の印象も持つ。特に私が恩師から教わってきたこと、あるいはちゅっちゅが教えてくれたことに反するこれは、言葉に聞こえる。
しかしそうではなく、『ミイラ取りがミイラになる』というように、人の力を過信してはならないということなのだ。つまり、別に彼らの存在を見下し、スルーするという意味ではない。むしろ、断固として立ち向かう。まるで、暗闇の中に燦然と輝く、月の光の様に、断固としてたたずむのだ。
ただし、間違っても『親しく』してはならない。つまり、闇の力を侮ってはならない。彼らに近づけば、彼らの毒素を浴びることは必至だ。自分がもし、人の心の負の闇に侵され、苦しんでいるというのなら、無理をして彼らと親しくする必要はないということだ。
無理をするとたちまち負に呑まれてしまうだろう。人間の負の力を侮ってはならない。自分を過信してはならない。人間は、せめて断固として揺るがないことぐらいしか出来ないのだ。それ以上のことが出来るなら、人間はこの世の戦争、差別、貧困、格差を止めているだろう。
『一人だけが救われるのは卑怯だ』という発想ではない。『一人一人が救われればこの世の闇は消える』という発想で、真理の言葉と向き合わなければならない。
参照文献
仏典
経集259。
関連する『黄金律』
『人の評価に依存することの愚かさを知れ。依存しないなら強い。』
『人間が戦うべき相手は外にはいない。「内」にいるのだ。』