仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
自分の心が誰かに乗っ取られていると知ったらどうだろうか。例えば『酒(アルコール)』だ。 例えば、種田山頭火はこう言っている。
彼は禁酒をしたのにも関わらず、気が付いたら酒を飲んで線路の上に飛び出していた。彼は自分の心を何者かに乗っ取られていたという発想が頭をよぎるはずだ。
もちろんお化け、幽霊、悪魔といった類のオカルト的な話ではない。しかし、自分の身体が不本意なことをしでかすことは、酔っ払いに限った話ではない。アルコール、麻薬と言った外部要因はもちろん、 憤怒、嫉妬、怠惰、傲慢、強欲、色欲、暴食、というキリスト教の7つの大罪でもある内部要因に人は身体を支配され、気が付いたら取り返しのつかないことをしていた、ということがある。
自分の心から『意志』が消え、7つの大罪や憎悪に自分の心を支配される人には、ある共通点がある。全員、『問題は内部ではなく、外部にあると思っている』のだ。 だから、内部に目を向けない。これが致命的なミスである。
そして、外部にだけ目を向ける。自分の身の周りが不幸なのは、全て外部要因に原因があると考え、仲の悪い両親や、理不尽な法律、あるいはお金等の要因を持ち出し、(全部周りが悪いんだ)と言って、人格が歪曲していく。歪曲するのは当たり前だ。着眼点が間違っている。焦点を合わせなければピントが合うわけがない。間違った真実を盲信するということは、真実の歪曲解釈である。歪曲解釈をした人間は往々にして、歪曲するのである。
自分の心が内部から来る悪しき感情に乗っ取られ、支配されていると考えたことはあるだろうか。もし支配されているとすれば、そんな自分を『ザコだ』と思わないだろうか。私は思う。そして、(乗っ取られてたまるか)という強い意志を燃やし、この一度しかない人生を生き貫いて見せると、言い聞かせる。
自分の心と向き合う時間を確保することが求められている。それが出来ないなら、留置場、拘置所、鑑別所、少年院、少年刑務所、医療少年院、刑務所、病院、浪人生活、と言った『強制的な外部要因』の力を借りることになるだろう。
最悪は、そうなることも致し方ない。電力王、松永安左エ門はこう言っている。
だが、自分の心に『意志(プライド)』があると言うのなら、強制的ではなく、自主的にやれるはずだ。
参照文献
法句経26。
関連する『黄金律』
『人間が戦うべき相手は外にはいない。「内」にいるのだ。』
『アウトサイド・インではない。インサイド・アウトだ。』