仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
以前の私なら、
(なぜ苦しまなければいけないんだ)
と言って被害者ヅラをし、自分の人生が快楽と幸福で包まれる未来以外は、受け入れることが出来なかった。しかし、世を知り人を知ると、次第に自分のその考えが、単なる先進国の甘えたクソガキの考え方だということを知った。
途上国や混沌とする地域では、劣悪な環境を強いられている人が大勢いる。しかし、自分はそんなことは露知らず、やれ『俺はプライドが高い』だとか、『意志を尊重してほしい』とか、馬鹿みたいに吠えては、自滅するという無様な生き様を晒していた。本当にプライドが高い人間は、そういう現実から目を逸らさない人間である。勝っていても奢らず、負けていても腐らない。これこそが人間に在るべき精神の姿である。
だとすれば、何が『怨憎会苦(避けられない)』だ。そう思わないだろうか。どんと来い。やってみろ。当たり前なんだ、そんなことは。 関係ない。避けるつもりはさらさらないんだ。トレーニングをするときに自分の身体を傷つけるだろう。あれと同じだ。怨憎会苦で結構。それを乗り越えて初めて、人は大きく成長するのだ。
だとしたらそれは単なる登竜門。なんてことはない。
(いやだ!)
と避けるのではなく、
(かかってこい!)
という気持ちが、人のあるべき姿だ。とても高潔な姿だ。『快楽万歳』ではない。『怨憎会苦』の考え方が正解だ。
参照文献
長部経典『大念処経』。
関連する『黄金律』
『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』
『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』
『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』
『「生きる」ということの本当の意味とは。』