キリスト教の礎 イエス・キリスト
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内省
私はキリスト教徒ではなく無神論者なので、今回の内省のテーマで、『神』という言葉を『真理』に変えた。世間で誰しもがしている習慣、昔からの因習、これらに照準を合わせるのではなく、『真理』に照準を合わせるべし。
ここでいう『真理』とは、ときに『神』となり、『原則』となり、『黄金律』となる。例えば、経営者の中では知らない人はいない名書、『7つの習慣』では、『アウトサイド・イン(外部の力で自分を変える)』ではなく、『インサイド・アウト(自分の心を変えて外的状況を変える)』といい、外部に依存して生きることの愚かさを、『原則主義』という概念でそれを提唱している。
仏教の『法句経』(ほっくぎょう)という仏典は、『真の言葉、真理の言葉』という意味である。企業や人の『黄金律』とは、例えばパレートの法則(80対20の法則)や、『成長と膨張の違い』、『弾み車効果と悪循環』等、それに逆らえば必ず衰退し、あるいは膨張が弾けてしまうような、帝王学にも似た黄金のノウハウである。
他人の目を気にしている人はおろか、法律でさえも、ときに自分の正義に牙をむくのがこの世の中だ。それもそのはず、その気にしている『他人』というのも、法律を決めたどこかの誰かというのも、皆、人間。人間は恒久的に、未熟なのだ。だから照準を合わせるポイントを間違えてはならない。
他人?流行?法律?
違う。
合わせるべく照準は、真理、原則、黄金律、ときに神と向き合うことのできる、自分の心だ。
参照文献
ローマ人への手紙 第12章。
関連する『黄金律』
『愛があれば全ては解決する。』
『流動変化が避けられないことを知っているかどうかは、人間の運命を大きく変える。』