キリスト教の礎 イエス・キリスト
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内省
マルコによる福音書には、男女が結ばれ、神によって一体となり、それは引きはがされるものではない、ということが書いてある。これは、ソクラテスが捉えていた『愛』の理解に極めて近いと私は考える。『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』にはこうある。
喜劇作家であるアリストパネスは演説でこう言った。
『かつて人間は二つの肉体が背中合わせとなった存在であった。』
一体となっている二つの肉体のどちらも男である場合、どちらも女である場合、そして男と女である場合(両性具有=アンドロギュロス)があった。残念なことに、ゼウスの決定により、 彼らの肉体は二つに分断された。それ以来、私たちは分離されてしまった片割れを求めている。
元の肉体の組み合わせにより、求める片割れは男もしくは女である。アリストパネスによると、この探究こそが私たちが愛と呼ぶものである。愛とは、失われた原初の結合を回復しようとする欲求である。愛によって自分と一体であるべき片割れを見つけ出し、私たちの本来の姿を完全に回復できた時、私たちは最高の幸せを手に入れることが出来る。
ゼウスだがゴッドだがは置いておいて、なるほど、これは別にこう考えても罪はない。人間が思いついたのだとしても、神がそうさせたのだとしても、生きる為に必要な夢とロマンを貰える、素晴らしい話だ。
参照文献
聖書
マルコによる福音書 第10章。