キリスト教の礎 イエス・キリスト
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内省
SEXに快楽を感じないという人間は、ただ『SEXをしばらくしていない』か、『無駄なSEXをやりすぎている』かのどちらかだ。この画像は、2012年のハーバードビジネスレビュー誌に掲載された、『人が幸福を感じる時』を図式化したものである。
円の大きさが『普段考えている量』を表す。右にあればあるほど、『幸福度』が増す。SEXは、異次元の場所にあるのがよくわかるだろう。だからSEXで快楽を感じないという人間は、前述したとおりの人間である。
実は、裏テーマとしてはSEXの近辺に『アルコール、麻薬』等も挙げられるだろう。以下の画像は、『飲酒に麻薬効果がある』ことを発見した研究結果のニュース記事である。
『気持ちが良い』と感じるということは、脳内に麻薬と同じような報酬系物質が放出されているということ。 最近のニュースのせいで、『覚せい剤でSEX』というキーワードが世間の裏テーマとして根付いているが、それはまさしく『この世の快楽の頂点』と言っても過言ではない。
あの図で言えば、右にはみ出るぐらいの快楽を体験するのが、その行為なのである。 だが、言わないでもわかるがそれは『快楽のみを追求した人間のなれの果て』である。あくまでも上の図は『人が感じる幸福度のチェック』ということだが、『幸福』と『快楽』をひとくくりにしてしまうことはよくある。若い頃など、特にそうだろう。しかしそれは同じではないのだ。
『快楽』に支配されるのは、『麻薬依存症』と何ら変わりはない。心が弱い証拠である。『快楽』を追求した渦中にいる彼が今『幸福』かどうか、考えてみると良いだろう。本当に『幸福』な人間とは、『快楽』に支配されない人間。例えば、食事を質素にしても『幸せだ』と思える人間だ。
作家の五木寛之氏は著書『大河の一滴』でこう書いている。
あるシベリア帰りの先輩が、私に笑いながらこんなことを話してくれたことがある。
『冬の夜に、さあっと無数のシラミが自分の体に這い寄ってくるのを感じると、思わず心が弾んだものだった。それは隣に寝ている仲間が冷たくなってきた証拠だからね。シラミは人が死にかけると、体温のある方へ一斉に移動するんだ。明日の朝はこの仲間の着ている物をいただけるな、とシラミたちを歓迎する気持ちになったものだった。あいだに寝ている男が死ぬと、両隣の仲間にその死人の持ち物、靴や下着や腹巻や手袋なんかを分け合う権利があったからね。』
『シラミが身体に移ってきて喜ぶ』ことが出来るなんて、今の人には理解できないだろう。だが、ここに人間の心を理解する鍵があるのだ。SEXは確かに、快楽を生む。しかしSEXが『病気』と『生命』、そして『依存』と常に隣り合わせである以上、その神聖な領域(聖性)に軽はずみに手を出してしまうことは、自分の心が『魔性』に傾き、最終的には『魔』に刺されて死ぬことを覚悟しなければならない。
参照文献
コリント人への第一の手紙 第6章。