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考察
論争するということは、『どうしても論破したい』理由があるわけで、そこにあるのは『どちらが正しいかをハッキリさせたい』という欲望と、『相手が妙に頑なであり、確かなものに見えるときもある』という疑念である。例えば私と、クリスチャンの母親との間にあったものもそうだ。実に29年間という間、母親が圧倒的優位な立場にあった。父親もそうだったが、17歳の時に他界したので、29年という時間は、母親だけなのである。
なぜ優位な立場にあったかということは3つあり、
- 母親の方が大人で、権力もあり、言うことを聞くしかなかった。
- キリスト教とは、世界で一番多い宗教である。
- 私がそんな母を、論破して心を破壊しようと思うことはなかった。
ということが挙げられたわけである。しかし、20歳になる前に家を出て、29歳で一度実家に帰ってきたとき、相も変わらず私の前で辛気臭く『イエス様』だとか言って祈りはじめ、せっかくの食事を台無しにしようとする。
いや、クリスチャンにとってはそれが当たり前であり、むしろ敬虔な姿だ。謙虚であり、毎日の食事を食べることができて当たり前だ、と思っている傲慢不遜な人間よりは、ずっといい。だが、私の場合は違う。『トラウマ』だからだ。幼少時代に、宗教の強要を通して嫌な思いを腐るほどしてきた。『家出』など序の口だ。氷山の一角だ。ここに全然書ける、何でもないことの一つだ。それをわかっているはずなのに、そういう行動をやめることはない母親。私はついに、29年間の間に蓄積してきた宗教問題の鬱憤を晴らすときがきたと、母親と人生初の、真正面からの『論争』という選択肢を選んだ。
その時すでに私は、キリストだけではない。『四聖』に数えられる、
孔子、
ブッダ、
キリスト、
世の偉人たち、
彼らの言葉と向き合い、それぞれの教えや思想、エッセンス(本質)が何であるかの共通点を見出す為の内省をし、
『真理=愛=神』
という図式が存在するところまで辿り着いていた。
例えばソクラテスは、
と言っているわけで、私のそういう時間の使い方は、極めて価値の高い、重要なものであることを、私は知っていたのだ。かつて、『家出など可愛い話だ』と言っていた血気盛んな私が、そこに辿り着いたのだ。まずは親として、それだけでも正当に評価をしなければならない。しかし母親がその論争で最初に口を出したのはこうだ。
母親
蔑んだような目、被害妄想でも何でもない。これは事実だ。私はこうして、母親が信仰するイエス・キリストの教えや、決めたルールに逆らうたびに、『他の兄弟はちゃんとやっている』などと言って、私を異端児扱いした。
何という愚かな親だろうか。私は、彼女に気に入られ、そして円満にやっていくためには、妹の様にクリスチャンになるか、兄の様に宗教とは距離を置き、ある種の現実逃避にも似た『隠蔽』的な人生を生きるしかない。まるでそういう決断を迫られているようだった。しかし、私は他の兄弟とは決定的に違う。何しろ、私は私なのだ。この世に唯一無二なのだ。自分の意志がここにあり、自分の信念がある。私はクリスチャンになることが正しいことだとは決して思うことは出来ない。
どれほどの葛藤を重ねて来ただろうか。しかしそれでも私の意志は変わらない。いやむしろ、知を積み重ねる度に、その意志が固くなってきたと言っていい。
パスカルは言った。
今はもう、一度そういう大きな論争を経て、お互いの理解が深まり、人生で一番仲が深まった関係になったと言っていいだろう。暴言を吐いて自分の信仰を守ろうとした母親の立場になり、私が理路整然と論理的に話しを進め、諭したことで、『真理の探究をしている自分が正しいと思っているの?』と言ったことに関しては、その翌日に、
母親
などという呆れるレベルの現実逃避はしたが、『もし言ったのなら謝る』などとして、何とか自分の非を認めたことで、私はまずはよしとした。
前述したように、私は別に、母親を論破して、信仰を打ち砕き、心を破壊して、拠り所をなくし、殺そうと思っているわけではないのだ。だから相手の信仰や意志も尊重しながら、それにとどめておいた。そして、もう私の前で自分の宗教を押し付けるように祈りを始めたり、少しでもそれを強要することをしないようになった。私がいるときは、私の聞こえないように、自分の心の中だけで祈り、食事をするようになった。
私の人生では、初めての光景だ。私はまず、勇気を持って論争することを覚悟し、最終的には家族の縁が切れることも覚悟で、意見を主張した自分が誇らしかった。しかし、我々はいつでも、それぞれの固い信仰に対し、批判し、その不確実性の揚げ足を取り、再び衝突する可能性を持っている。それは我々が『人間』だから。そして人間とは、恒久的に未熟な存在なのである。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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