名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
人生で教訓やことわざは、たくさん聞いたはずだ。幼少期にもう、学校の教師かテレビか親か、どこからかはわからないが、気づいたらたくさん知っているのだ。『犬も歩けば棒に当たる』とか、『猿も木から落ちる』とか。もちろん、それらも当然傾聴に値するが、私が心底から確信を覚えた教訓を、一つだけ挙げなければならないのだとしたら、私はこれを挙げるだろう。
『出る杭は打たれる』
私はこれを、小学生になる前から『違和感』として感じていた。そしてその違和感の正体が何であるかを、年齢を重ねるごとに論理的に説明できるようになっていった。まず最初のそれは、『クリスチャンになることを強要する親』と私との人間関係である。彼らは私にそう強要し、そしてそれに逆らうと、『この家の子供ではない』という様な雰囲気を存分に漂わせ、私を精神的に追い込んでいった。
しかし、彼らは『追い込んでいる』のではなく、むしろ『救おうとしている』と言って自らの思想を正当化していた。つまり私は、そんな親が築こうとする理想の家庭に、首をかしげたことで、杭を打たれたのである。『家出をする』ということなど、別に何でもない話だ。私にとっては当たり前すぎる話で、氷山の一角である。ここに書ける話だからだ。問題なのは、『書けない話』の方である。私の人生は、それぐらい波乱に満ちた半生だったということだ。
それが私の記憶の中で思い出せる、最初の『打たれた杭』の話である。それからも、何度も何度もこういうことは続いた。その背景にあるのは、人間の罪深い間違った感情の処理である。特にこの親などは、クリスチャンを名乗って毎週日曜日に教会に行くくせに、『7つの大罪』についてを理解していないのだから、支離滅裂である。
- 傲慢
- 強欲
- 暴食
- 色欲
- 嫉妬
- 憤怒
- 怠惰
これらの7つの大罪を犯している自分たちに気づけていなかった。これでは『エセクリスチャン』である。エセとは、『似ているが本物でない』という意味だ。
孔子、
ブッダ、
キリスト、
彼らの『罪の定義』は、
孔子=利己、ソクラテス=無知、ブッダ=執着、キリスト=罪
ということになる。キリストの罪の定義が『罪』というのはどういうことかいうと、罪と言う言葉を紐解くと、ヘブライ語の『的を外す、的を取り違える』という言葉に辿りつき、つまり『欲望を間違った方向に向けてしまう』ことを、罪だと定義しているのである。だとすると、私の両親がかつてやったことは何だ。人が出ることに耐えられず、その杭を打った人間のしたことは何だ。傲慢、強欲、暴食、色欲、嫉妬、憤怒、怠惰。これらの欲望を間違った方向に向けて、処理してしまった彼らは『罪』深い。
私も散々これらのテーマについて考えを張り巡らせた人間の一人だ。そして、今はもう何とも思っていない。なぜかという理由は、『大衆』と『天才』とで分けられているところにある。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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