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アメリカの小説家、ヘンリー・ミラーは言う。
『安全』を求めた結果、手足が『義手義足』になった。もちろん、本当に義手義足を使っている人は例外だが、そういう人はしかし、『自ら手足を切り離して義手義足にする人』であり、不本意でそうなった人に対する冒涜でもある。我々の『幸せ』とは、『痛み』、『苦しみ』、『辛さ』、『悲しみ』を乗り越えた先にある。例えば、聖書の『伝道者の書 5章』にあるこの意味が分かるだろうか。
『見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。』
トルストイは言った。
なぜ、『このような話が浮き彫りになっている』と思うか。そこに答えがある。
試しに、今日から3か月、自分の大好物だけ(同じ物)を食べる生活を送ると良い。3か月後、その食べ物に対し、どう思っているか、そして、なぜそう思ってしまったのかを考えれば、もう答えはすぐそこである。これは、ドーパミンという脳内の報酬系物質の側面から考えても興味深い話である。例えば、ある時脳科学者の茂木健一郎が、『ラーメン二郎』のあのこってりとした超大盛ラーメンの秘密を研究した。
行列に並び、そのラーメンに辿り着いたのだが、しかし今度はなかなかラーメンの『底』に辿り着かない。食べても食べても、終わりがないのだ。茂木氏は正直途中でギブアップも頭をよぎった。しかし、ようやく底が見えてきたとき、茂木氏はあることに気が付いた。
(そうか。ここの常連は皆、この『ドーパミン』を求めに来ているんだ!)
大変な思いを強いられて、それを乗り越えたときに出る脳内の報酬系物質ドーパミン。それは例えば、迷路を抜けた時や、大変な仕事や、難問をクリアしたときに放出されるものである。ラーメン二郎のラーメンは、食べるのに苦労する。だが、それを食べ切った後、脳内にドーパミンが出ていることを知ると茂木氏は、ドーパミンと人間との因果関係を悟ったのだ。
『思慮分別は人生を安全にするが、往々にして幸せにはしない。』
つまり、安全な道を歩いている人間に、このドーパミンはなかなか放出されない。放出されると考えられるのは『セロトニン』だ。どちらも報酬系物質なのだが、気分が高揚し、多幸感を強く得られるのはドーパミンである。
つまり『幸せ』とは、セロトニンが放出されるときにも確かに感じるが、それよりも激しく感じるのがドーパミンが放出されたときだ。ある実験では、ネズミに『押すとドーパミンが脳内に放出されるボタン』を押させると、死ぬまでそのボタンを押し続け、ドーパミン依存に陥るという結果が出ている。サミュエル・ジョンソンの今回の言葉を、このような無意識のうちに放出されている人間の報酬系物質の側面から考えると、考えさせられるものがある。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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