名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
『読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線をペンでたどるようなものである。だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。読書にいそしむ限り、実は我々の頭は他人の思想の運動場に過ぎない。そのため、ときにはぼんやりと時間を潰すことがあっても、ほとんど丸一日を多読に費やす勤勉な人間は、次第に自分でものを考える力を失っていく。』
本というものは、『人の意見』だ。私がそれを認識したのは、18歳やそこらだった。なぜその年齢だったかというと、まず私は本が嫌いだった。読むのはマンガだけだった。だから、教科書を含めた活字の本は、遠ざけていた。それ故、本に対して思慮する時間を設けようとしなかったのだ。まずそれが大きな理由の一つである。
そしてもう一つの理由は、だが、ちょうどその年齢の時に、本を読まなければならない状況に陥ったことで、読書というものが、何を意味するかということについて、思慮したことが挙げられるのである。私は、人の意見が聞けない人間になったのは、両親に、物心がつく前から、クリスチャンになることを強要されて育ったことが大きく影響している。
しかし私はクリスチャンではなかった。そして、クリスチャンという神聖なサンクチュアリ(聖域)にいることを自負するその両親が、人間として、あまり大したことがない人間だったことも手伝って、彼らも、彼らが信仰するものも、信用できなくなったのである。
親の名誉のために言っておくが、親は、『育児者』としては、100点である。私を風呂に入らせ、食事を摂らせ、寝る場所を用意し、学校へ入学させてくれたのだから。
私はとにかく、この世に信じられる存在がいなかった。往々にして人は、意見を言う時に、エゴを介入させている。つまり、自分の私利私欲を満たすことを念頭に置いていて、真の愛、没我の心を持って意見する誠実な人間が皆無に近かったのだ。
私が言う『大した人間』というのは、そういう人間のことである。そして私は、次第に、この世には自分しか信用できる人間はいないと考えるようになっていった。だが、私はその年齢の時、父親が肝臓がんで余命宣告を受けたことも手伝って、人生に対する大きな『パラダイム転換』を強いられることになった。しかし、『内観』はおろか、『内省』という概念すら知らなかったその当時、私は外部要因の力に頼るほか、選択肢がなかったのだ。だが、話を聞くことが出来ない。聞きたいと思う様な人間が周りにいなかった。そのとき、私の足は自然と本棚に向かっていた。
私は、心理学や脳科学の本を手に取って、読み始めた。その時、私が一番欲していた情報は、かつて活字の本の中で最も忌み嫌っていた、そのジャンルの本だったことを悟った。本には、私が知りたかった情報が、面白いくらい、ピタリ書いてあった。
(なるほど!)
(…そうだったのか!)
その時に抱いた私の正直な感想は、全てそういうものだったことを、今でも鮮明に覚えている。それからというものの、私は間違いなく、本の叡智に導かれ、自分の進む方向性を軌道修正していった。そしてついには、『四聖』に数えられる、
孔子、
ブッダ、
そして、私の人生を最も苦しめた存在、キリスト、
彼らの叡智に辿り着くまでになった。私は『人の意見』を聞くことが出来なかった。その理由は、前述した通りだ。しかし、本が『人の意見』であることを知ると、自分は別に、人の意見を聞くことはでき、私が出来ないのは、意見を強要されることだったことを知ったのだ。
儒教の重要人物、孟子は言った。
ショーペン・ハウエルと孟子は、本を読んで、それにただひたすら同調、追従、迎合し、なぞるだけで、自分の意見を持たない人間に対して、警鐘を鳴らした。しかし私は、ほとんど丸一日を多読に費やす日があっても、自分でものを考える力を失うことは無い。なぜなら、意見を強要されていないからだ。
かつて、強制的に聖書をバイブルとすることを義務付けられたあの頃。あの頃の私には、主体性がなかった。しかし今の私は、それらに対して主体的に向かっていって、自分の性質と合う、納得のいく意見だけを抽出して自分のものとしているのだ。当然、否定もする。しかし面白い事に、彼ら四聖も含めたこの世の偉人の言葉というものは、往々にして、傾聴に値する意見ばかりなのである。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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