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考察
神々が強い側に味方をするのであれば、弱者は死んで当たり前という、弱肉強食的な考えが頭をよぎってしまうことになる。ちなみにタキトゥスは、紀元前55年頃の人間だ。
キリストが、
およそ紀元前4年頃なわけだから、タキトゥスはちょうどキリストの父親、あるいは祖父と同じ年齢に値することになる。つまり、かなり昔の人間だということだ。何もかもが現代とは勝手が違うわけだ。その中での『神々』であり、『弱者』と『強者』だ。そこにある確かな差異を、正確に理解していなければ、この言葉の意味も正確に理解することは出来ない。
例えば、聖書を徹底的に読む中で、歴史の切迫した事情によって意図的に除外された重要な真実に気づき、宗教学者として、キリスト教が発足する前のイエスの実像に迫る研究を20年近く続けた、レザー・アスランの著書『イエス・キリストは実在したのか?(Zealot the life and times of jesus of nazareth)』にはこうある。
『福音書は、実際のイエスを描いていない』
それは一体なぜだろうか。その答えは著書を見ればわかるが、例えば、『当時の人間の概念の中に、歴史を遺すという文化そのものがなかった』という事実があったのであれば、どうだろうか。つまり、『書物に、実際に昨日や去年起きた事実のありのままを書く』という概念がなかった。
だとしたらレザー・アスランの言う、
『福音書は、実際のイエスを描いていない』
という言葉の意味も一発で理解することになる。何しろ、『実際のことを書かない文化があった』のだから。そのようにして、現代と2000年前とでは、著しく勝手が違うのだ。そんな背景を押さえた上で、タキトゥスの言葉にもう一度耳を傾けてみる。
『神々』というところもポイントだ。つまり、『唯一神』ではないのだ。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教で共通している唯一神、ゴッド、ヤハウェ、アラーではない。そうなってくると、もはや何でもありだ。まず、その『神々』ですら、空想の世界の話の可能性もある。この日本において考えても、八百万(やおよろず)の神の存在があるのだ。海や、川や、山や森に神がいて、あるいは妖怪もいてお化けもいて、呪いも祟りもあるから、生贄も悪魔祓いも魔女狩りもある。
生贄や魔女狩りで殺された人間の身になって考えてみるといい。彼ら、彼女らはそうして死んでいった。殺したのは、『それ』を盲信した人間であり、山や海に住んでいた動物である。
それを盲信していた人間たちは、その儀式によって刹那の安堵を得ただろう。彼ら曰く、
『神々は、強い側に味方する。』
そうして弱者が餌食となり、力を暴発させた人間たちが生き残り、そういう言い伝えや言葉が残った。
…のかもしれない。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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