ハニワくん
先生
いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!
- キリスト教は何がしたくて生まれたの?
- キリスト教はなぜ世界一受け入れられたの?
1.特定の人だけじゃなく、皆が救われてほしいという願いから生まれました。
2.その考え方が大勢の人に受け入れられ、莫大な支持を受けました。
ハニワくん
博士
当時、選ばれた人間しか救われない風潮がありました。
王や貴族や中産階級のような人間だけに来世が約束されたり、この世での扱いが優遇されました。それはキリスト教の前に存在していた、『エジプト神話』や『ユダヤ教』といった様々な神話や宗教がそう教えていたからです。そしてこの時代は宗教が何よりも重視されていたので、それはとても重要な問題でした。
そんな中、イエスが登場します。彼が『特定の人だけではなく、皆が救われるべきだ』と説くと、たちまち彼の意見に耳を傾ける人が集まりました。彼は当時権力を持っていたユダヤ人に処刑されますが、彼の死後、弟子のパウロが『キリスト教』を作り、そしてその教えの普遍性が大勢の人に受け入れられ、ローマ帝国の国教になるなどの過程を経て、徐々に、しかし確実にこの世界へと広がっていきました。
私はクリスチャンではなく親がクリスチャンという家庭に生まれ、一時はキリスト教を心底恨みましたが、調べてみるとこの教えの中には『未来永劫消えることがない輝き』が存在することがわかりました。一部には納得がいきませんし他にも宗教がありますから、偏りたくない私は無宗教を貫きますが、そんなシビアな私から見てもそう思わせるような、そういう素晴らしい教えがキリスト教には存在する。そうした理由もこの教えが世界一受け入れられている理由かもしれません。
博士
ハニワくん
先生
キリスト教とイエス・キリスト
上記の記事までに、ユダヤ教がどう生まれ、どういう存在になったかということは書いた。そして今回からいくつか書くテーマは『キリスト教』である。キリスト教というのはイスラム教と同じく、ユダヤ教を元にする宗教だから、これら3つの宗教は『アブラハムの宗教』と言われている。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。
そしてイエスが生まれた紀元前4年頃、そこに蔓延していたのはユダヤ教だった。そしてもちろん、最初はそこに蔓延していた宗教に敬虔になるわけだ。自我が発達し、意志がハッキリするまでは、そこに蔓延している常識に支配されるのが人間である。
うやまいつつしむ気持ちの深いさま。特に、神仏を深くうやまい仕えるさま。
彼を『イエス・キリスト』ではなく人間だと考えるなら、彼の名は『イエス』である。いわゆる『ナザレのイエス』とは、当時、イエスという名は珍しい名前ではなかったため、『ナザレ地方にいるイエスのこと』という意味で、地名が名前の頭につけられている。
ちなみにこのイエスという名は『神は救いである』という意味であり、キリストという言葉の意味は、『油を注がれた者(王や祭司の即位の際、油を頭にかける習慣があったことから『使命を帯びた者』の意味があった)』、あるいは『救世主、救い主』という意味である。称号のようなものだ。
ユダヤ人だったイエス
イエスは最初ユダヤ人だった。ユダヤ人というのはユダヤ教を重んじる人だからそうなるわけだ。しかしそのうちユダヤ人の立ち居振る舞いに納得いかなくなった。彼らは当時、『律法さえ守っていれば後は何をしてもいい』という考え方をしていた。それについては下記の記事にたっぷりと参考文献を載せたので、併せて読んでもらいたい。
一部を抜粋しよう。
その当時は、ただひたすら決まりを守っていれば、あとは何をしてもよかった。金、金、金と追い求めてもよかった。また、律法さえ守っていれば、必ずご褒美を貰えたのです。お金持ちになれたのです。律法に逆らわなければ病気にもおかされない。そのような時代に、そのような考え方をする人々に向かい、自由になりなさいとイエスは言いました。
こういう考え方は今の我々が見ても、どう考えてもおかしい。この考え方が正義であり、愛に溢れているかどうかということは、別に宗教や哲学を学んでいない人でもわかることである。しかし、当時の状況は違った。やはり、力を持っている人間が世を支配するのである。当時はユダヤ人が強い時代だったのだ。
求められた『救世主(革命家)』
ここで、世界3大宗教の創始者が生まれた時代背景を見てみよう。
世界3大宗教の創始者と当時の時代背景
宗教 | 創始者 | 時代 | 時代背景 |
キリスト教 | イエス | 紀元後4年頃 | ローマ帝国による奴隷たちの苦悩が絶頂に達していた |
イスラム教 | ムハンマド | 6世紀頃 | アラビア民族の対立が頂点に達していた |
仏教 | 釈迦 | 紀元前600年頃 | 数千年にわたるカースト制度が人を苦しめていた |
これを見てもわかるように、これらの宗教が生まれたとき、そこにあったのは『苦しい状況』である。とても苦しく、改革が必要な状況がそこにあった。何らかの革命を起こし、事態を好転させてくれるような人物、つまり『救世主(革命家)』が必要だった。イエスは、
- ローマ帝国による奴隷たちの苦悩が絶頂に達していた
- ユダヤ人の間違った考え方が蔓延していた
このような『苦しい状況』を『更新』しようとして、『新しい教え』を広めようとした。
偏ったユダヤ人の教えを 『更新』
律法さえ守っていれば後は何をしてもいいという考え方が蔓延していた。
聖書にはこうある。
『あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。』(コリント人への第一の手紙 第3章)
当時、そこにあったのは『神殿の神格化』だった。神殿にこそ神がいて、その神殿でユダヤ人たちが間違ったことをしていた。『イエス・キリストは実在したのか?(Zealot the life and times of jesus of nazareth)』にはこうある。
神殿がすべての中心
ユダヤ人の生活の中で神殿のもつ役割は看過できない。神殿はユダヤ人にとって暦であり、時計である。(中略)ユダヤ人は異教徒の隣人たちとは違って、国内に多様な宗教的寺院はもたない。宗教センターは一つしかなく、神聖なものの存在を示すためだけにあり、ユダヤ人が生きている神と交わることのできる、かけがえのない唯一の場所である。ユダヤは、その意図も目的もすべて、神殿国家である。
(中略)これに加えて、神殿税としてかき集められた歳入や、旅人や巡礼者から絶え間なく差し出される進物や供物があり、商品や両替商の手を経由する金額は莫大なものになる。神殿がその上前をはねるのは言うまでもない。多くのユダヤ人が、祭司貴族階級全体を、とりわけ大祭司を、ヨセフスの言葉を借りれば、欲の深い『贅沢愛好者』の一団にほかならないと思うのは無理もない。
それに加え、上記の記事に書いたようにユダヤ人の『唯一神への絶対的な信念』というのは、推進力にはなっても調整力にはならない。このような彼らの性格と『神』への間違った解釈が、彼らを排他的で傲岸不遜な人間へとなり下げてしまっていた。
国・地方公共団体の一会計年度における一切の収入。
ピンはねをするということ。
人に差し上げる品物。贈り物。
宗教儀礼における供儀行為の目的達成のために、信仰対象に捧げられるもののこと。
自分の仲間以外の者すべてをしりぞけて受け入れないこと。
更に詳しいことは下記の記事に書いているので、興味のある人はそちらで確認していただきたい。
『世界平和の実現に必要なのは『真理=愛=神』の図式への理解だ。』(5ページ目)
この時点で、イエスはとても善い人間だということが見えてくるだろう。イエスの博愛主義的な考え方は、世の多くの人の心に響いた。イエスは、
- 打ち明け話
- 祈り
- たとえ話
- 威厳
などを織り交ぜながら、人々が理解しやすいように、カスタマイズして説いた。
[『山上の垂訓』カール・ハインリッヒ・ブロッホ画]
そして下記の記事にも書いたように、そのような普遍的な考え方は、多くの人に受け入れやすいものだったため、キリスト教は世界一信者の多い宗教となったのだ。
すべての人を平等に愛すること。
広く行き渡るさま。極めて多くの物事にあてはまるさま。
しかしこの話には続きがある。まず、キリスト教を作り、それを広めたのは『パウロ』であり、それはイエスの死後のことだった。そしてイエスは『キリスト』というよりは、違う呼び名が相応しい人間だったかもしれないということだ。次回に続く。
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参考文献