名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
『私はお前たちに超人を教える。人間は超克さるべき何物かである。お前たちは人間を超克すべく何ごとをなしたか?超人は大地の意義である。』
『超克(ちょうこく)』というのは、困難や苦しみに打ち克ち、それを乗り越えることを意味する。従って、そういう経験がある人間は、『超克した』と言うことが出来るのである。ただし、ここで言われているのは『人間を超克すべき何かをしたか?』ということであり、『問題を超克した』ではなく、『人間を』というところがポイントである。
また、言葉に『超人』とついていることから、『人間を超克した人間』のことを、『超人』と呼ぶことと推測できるわけである。従ってニーチェは、誰かに向かって、
『人間は、超人になるべきだ。それこそが人生の意義である。』
というようなことを言っていることがわかるわけだ。
例えば、ブッダは言った。
- 『愛別離苦(あいべつりく)。それすなわち、人生は自分の思い通りにならないという悟り。』(超訳)
- 『諸法無我(しょほうむが)。それすなわち、全ての物は、自分の物ではないという悟りである。』(超訳)
- 『求不得苦(ぐふとくく)。それすなわち、実現不可能な願望に心を奪われ、苦しむこと。』(超訳)
- 『怨憎会苦(おんぞうえく)。それすなわち、生きていれば嫌われることも苦しむことも避けられないということ。』(超訳)
- 『一切行苦(いっさいぎょうく)。これすなわち、すべての衝動は苦しみの根源であることの悟り。』(超訳)
これらのブッダの言葉が指し示す意味を理解したのであれば、それはおそらく『人間を超克した』ということになる。それをニーチェは『超人』と呼ぶが、仏教では『ブッダ(悟りを開いた者)』と呼ぶことになる、前後の文がわからないのでこの言葉だけを見ての内省となるが、この解釈でもつじつまは合うだろう。
追記:
しかしどうやら、ニーチェの言う『超人』とは、
『永劫回帰を前向きに受け入れ、既存の価値に囚われずに新しい価値を生み出す人間』
のことを言うらしい。『永劫回帰』というのは、
「時間は無限であり、物質は有限である」という前提に立ち、無限の時間の中で有限の物質を組み合わせたものが世界であるならば、現在の世界が過去に存在し、あるいは将来も再度全く同じ組み合わせから構成される可能性について示唆している。
ということ。つまり、
ビッグバン(破壊&宇宙創造)⇒宇宙が誕生⇒人間が誕生⇒ビッグバン(破壊&宇宙創造)⇒宇宙が誕生⇒人間が誕生⇒
というループを無限に繰り返すということ。
私も考えたことがある。なぜなら、人間のこの技術の進歩は、ある種感動的である。このたった20年で考えただけでも、けた違いの進歩を見せている。例えば、Windows95で感動していた死んだ父親は、この現代の技術力のすごさを知らないのだ。しかしおかしい。どう考えてもこの先に行けば行くほど、過去の人間が大きく上を見上げるべく圧倒的な技術がそこにある。だが、例えばその道の中で、タイムマシンが発明されるのであれば、その未来の人間が過去である今我々が生きている現在にやってこないことがおかしい。
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タイムパトロールのような人間が過去の人間との接触を阻止しているとしても、人間である以上、何らかのミスがあるはず。そして何らかのミスがあるのであれば、それが現在に何かの『現象』として起こるが、いわゆる『心霊現象』などをそう考えたとしても、私は別にそういう現象を見たことがない。テレビ番組で観るだけだ(つまり、演出がされている)。そう考えると、明らかにこの先に待っているのは『SFで空想される発展した世界』というよりは、『虚無』と考える方が合理的である。ということは、
『人間が研鑚した技術はこの先に行けばもっともっと優れていく一方になる』
という考え方ではなく、
『おそらくどこかで一度虚無になり、リセットされる。だから過去である現在に何も影響がない』
という考え方の方が、納得がいくのである。そう考えたとき、
(実は今の我々は、そういう無限ループを繰り返しているのではないか?)
という風に考えたのだ。つまり、人間の進歩は、タイムマシンを発明するほどの能力に達する前に、尽きてしまう。これがニーチェの言うこの『永劫回帰』の意味とほぼ同じ発想だろう。
それを書いたのは、コペルニクスのこの記事だ。
ニーチェは、この永劫回帰を前向きに受け入れ、既存の価値に囚われずに新しい価値を生み出す人間を『超人』と呼んだ。ニーチェにとって超人とは、真の意味で自由な存在なのである。
その背景にはさらに『ルサンチマン』という『弱者の強者への嫉み』の感情がある。別にルサンチマンという言葉を使う必要はない。彼が日本人ならルサンチマンというワードは使っていない。我々はただニーチェの言葉を的確に訳すために、わざわざこのルサンチマンという小難しいワードを使わなければならないが、意味は『弱者の強者への嫉み』の感情である。
私は名言トップページにこう書いている。
『世界の80%のお金を、20%の富裕層が所有している』という事実。では、皇族や資産家の子孫として生まれた時点で『20%入り』するのであれば、この世はなんと生きがいの無い愚かな世界なのでしょう。それはつまり、同時にこの世に『80%側』の人間、つまり『その他大勢の一人の人間』を、不平等に、不公平に多く生み出す世の中であることを示唆しているのです。ですが、20%側に生まれた彼らには、何の悪気もないのです。
つまり私のこの記事には、ある種のルサンチマン(80%側が20%側にある種の嫉妬をし、理不尽だと感じている)的な感情が隠されていることになる。しかし、私はその後にこう続けている。
そして、我々が本来耳を傾けなければならないのは、本当に『大多数(80%)の意見』なのでしょうか。より多くの人々から受け入れられることが正しい生き方なのでしょうか。また、そうじゃないならなぜ、
- 販売部数が多い本は名著
- 興行収入が多い映画はヒット
- 視聴率が高い番組は当たり
- ファンの多い人や企業は成功
という図式が蔓延しているのでしょうか。真の良質とは一体何なのでしょうか。『偉人』。つまり、各分野で偉業を成し遂げた一流の人間や天才の言葉には、これらのテーマについてのヒントが隠されているのです。
私がここでいう『偉人』と『天才』、そしてニーチェの言う『超人』は、同じ意味を指しているのである。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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