名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
人間は皆、『異なった形の歯車』である。『真実を語る』ということは、『異なった歯車であることを主張する』ということである。
ショーン・コネリーは言った。
しかし、信頼関係がないなかで真実を話すと、『痛いところ』を突かれた見栄と去勢に心を支配された人間が、それに反論し、隠蔽しようとする。私もショーン・コネリーと同じ考え方をするが、しかし、同時にそれをやることの弊害も理解しているのである。
ソクラテスだ。
彼は常に真実を追求し、それで人の反感を買って、裁判にかけられた。普通はそうなったとき、自己弁護のために躍起になるのが普通だ。だがソクラテスは、
『なぜ無知な人たちに媚びを売る必要がある。私は間違っていない。』
と主張し、更なる反感を買った。そして死刑に多くの票を入れられ、彼はこの世を去ることになった。
ソクラテスは最後にこう言った。
『お別れのときが来た。君たちは生きながらえるため、私は死ぬために別れるのだ。君たちと私のどちらがより幸福なのだろうか?答えることが出来るのは神のみである。』(『弁明』42A)
そして毒の入った杯(毒ニンジン)を飲み、自分の信念を貫いて、一生を終えた。
私はソクラテスの生き方がよく理解できる。だが、 萩原朔太郎から言わせると、ソクラテスに『社交』の能力はなかったということになる。
『社交の秘訣は、真実を語らないということではない。真実を語ることによってさえも相手を怒らせないようにすることの技術である。』
つまり、『真実を語らない』ということは、協調性という詭弁の名の下に、同調、追従してみせ、『あなたと同じ歯車ですよ』と言って見せ、自分の歯車の形を捻じ曲げてでも、相手と噛み合おうとする『妥協』である。
エマーソンは自身のエッセイ『独立独歩』でこう言っている。
『だれでも教育を受けている過程で嫉妬は無知であり、模倣は自殺行為にほかならないという確信に達する時期がある。』
唯一無の自分の歯車の形を捻じ曲げ、相手の機嫌を伺って人生を棒に振るう。そういう偽善者に成り下がることは、自殺行為だ。『真実を語ることによってさえも相手を怒らせないようにする技術』とは、まずは『潤滑油』である『礼儀』である。この潤滑油があれば、まずは大丈夫だ。もちろん、『社交辞令』と『礼儀』は、同じ礼儀でも大きな差があって、その差の意味を理解していなければ、歯車の衝突事故を避けることは難しいだろう。見るべきなのは以下の黄金律だ。
更に上の話をするとなると、『大義』がある。『大義』があれば、別に目の前の相手が怒ろうがわめこうが関係ない。その行動の根幹にある目的の達成の為には、目の前で生まれる小さな誤解など、たわいもない。詳しくは、『孫悟空とミスターサタン』を見ると良いだろう。
社交、社交と言ったって、その相手が真実を見極める見識が無ければ、そこに生まれるのは誤解である。最も重要なのは、『社交』というよりも『健全な社会』。よもや、武器麻薬の密売と、人さらいと殺人で生計を立てる人間に対し、『社交的』に対応することが、人として正解だとは思っている人はいないだろう。私は結局、『社交』などというつまらないもののために『真実』を隠蔽して生きることができない、ソクラテスの生き方に、強く共鳴する。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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