名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
私がこの言葉を、まだ格言に出会って、感動を覚えたての17歳やそこらでは、理解することは出来なかっただろう。他にも例えば、この言葉の意味を理解することは出来なかった。
『レモンを手に入れたら、レモネードを作れ。』
何を言っているのかサッパリだった。
(カーネギーって誰?)
その程度の思慮にしか内省が発展しない。当時は年上が先輩面して、自分よりも優れた人間のフリをすることが腹が立っていたのだが、いささか、年齢と経験を重ねなければわからないことも、あったようだ。ここでいう『レモン』が、『艱難辛苦(かんなんしんく)』、つまり、『人生で起こるありとあらゆる苦労や試練』だとは想像できなかった。
そして、その『レモン』を手にしたら、『酸っぱい』などとそのまま流されるのではなく、いっそのこと『レモネード』にして、そのレモンを飲んでやればいい。そうすればむしろレモンを手に入れたことは『不幸』ではなく、『幸運』なのだ。
この考え方は、今も私の考え方の根底に根付いている。文字通り、この知性が、『知層』となり、地となり肉となり、骨となったのだ。もし強がりではなく、偽りでもなく、本当にこれが出来たのなら、人間は想像を絶するエネルギーを生み出すことが、半永久的に出来る。なぜなら、この世は理不尽だからだ。
さて、ペギーの言葉の意味はこうだ。
『思春期には誰もが葛藤をする。それがいかにロマンチックな葛藤だと自負していても、周りの人間も皆、同じ時期に、同じような葛藤を抱いている。本能と自我の乱立。自由と責任との天秤。理想主義(ロマンチスト)と現実主義(リアリスト)の狭間で、大きく揺れ動く。それが、青春時代だ。それについて特に悲観的になる必要は全くなく、逆に、自分が特別だと思い上がる必要も全くない。
だが、その時期を過ぎてもまだ葛藤が続くようであれば、もしかしたらあなたは、詩人なのかもしれない。つまり人間が『もれなく通る道』を抜けても、まだその道の延長線上を歩いているというのなら、そこには自分の『主体性』があり、『意志』がある。本能や慣習に流されているのではない。自分の意志で行うその葛藤こそ、自分が真のロマンチスト(詩人)であるということの、証なのかもしれない。』
同じ満員電車に乗っても、私のように、その行為自体に『違和感』を覚え、『酔い』に似た居心地の悪さを感じる人間もいれば、その行為自体が『社会人の証だ』と思い込み、『大人の一員』に『酔いしれる』人間もいる。私は決して、何の神かもわからないのに、祈ったり、祈願したりすることはないが、多くの人は皆がやっているから、『イベント的な要素』の意味合いでも、神社にお参りに行く。小学生までは大体が同じだ。授業を受けて、遠足に行って、思う感想など大差はない。
だが、このようにして人は成長するにつれ、人生の行動に明らかな『差』が出てくる。その根底にあるのが『意志』であり、つまりペギーの言うように、『意志の無い時期』に抱いた葛藤ではなく、それが過ぎ去った後、『意志』が固まった後にまだその葛藤が続いているのであれば、彼はもともと、詩人だったのである。
リチャード・バックは言った。
詩人とそうじゃない人との差は、その葛藤を本気でやっているか、いないかの差しかないのである。それがハッキリするのが、『反応的でいればもれなく皆が経験するその時期』を過ぎた、『その後』なのである。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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