ハニワくん
先生
いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!
- ヘーゲルは何をした人?
- ショーペン・ハウエル(ショーペンハウアー)は何をした人?
1.人は時間をかけ『より良い方向』へ向かっていき、最終的にたどり着くのは究極の精神だと主張した人です。
2.ヘーゲルを否定し、『究極的にたどり着く精神がある』のではなく、『むしろ意志を捨てること』が答えだと説いた人です。
ハニワくん
博士
彼らの意見は対立しています。
意見、意志、思想を磨き上げていって、最終的に『大人の考え方』よりも更に上の境地である『絶対精神』を手に入れるはずだと主張したヘーゲル。仏教的な要素を取り入れて、『そうでなく、むしろ欲望にまみれた意志(執着)を捨てることが大事』だと主張したショーペン・ハウヘル。ヘーゲルの考え方は今は間違いだとわかりますが、当時はそうではなく、マルクスなどは本気でこれを信じました。そしてそれが『ソ連、レーニン、スターリン』に受け継がれ、アメリカに匹敵する大国ロシアへとつながっていったのです。
そう考えると、ヘーゲルの考え方は一部は正しいと言えます。つまり、『絶対精神』にまではいかないが、人は成長を追い求めれば行けるところまでは行けるということです。ヘーゲルの思想は人間に『成長』を促し、ショーペン・ハウエルの思想は『無我の境地』を教えますから、どちらかというと勢力を上げられる考え方はヘーゲル、そして人として内的な成長ができるのがショーペン・ハウエルの考え方だと言えるでしょう。
ソ連は、ヘーゲルの考え方に依存してしまったので、勢力を上げることには成功しましたが、その代償としてショーペン・ハウエルの説いたような『尊厳』を軽んじてしまい、多くの敵を作り、崩壊してしまったと言えます。
博士
ハニワくん
先生
Contents|目次
ヘーゲル
マルクスの思想を受け継いだのは誰だ!?『レーニン、スターリン、トロツキー』そしてプルードンという男の存在
上記の記事の続きだ。レーニン、スターリン、トロツキー等のがマルクスの思想を受け継ぎ、革命を起こした話をまとめた。だが、彼らと同時代に、違う国では違う哲学が花開いていたのだ。『実存哲学』である。まず最初に挙げるべきなのがヘーゲルだ。
[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル]
各人の誕生年
ゴドウィン | 1756年 |
マルクス | 1818年 |
プルードン | 1809年 |
レーニン | 1870年 |
スターリン | 1878年 |
トロツキー | 1879年 |
ヘーゲル | 1770年 |
年齢的にはゴドウィンに近い。マルクスよりも前に生まれた、ドイツの哲学者である。なぜヘーゲルを先に話さなければならないかというと、それはそのマルクスの記事で『弁証法』という考え方を持ち出したからだ。これはそのまま、下記の記事を見れば理解は終わりである。
哲学史上、現実に最も大きな影響を与えた男、カール・マルクス登場
弁証法
念のためここでもピックアップしてみよう。『弁証法』とは、
『意見A+意見B=意見C』
という考え方で、『意見Cはより正しく、強くなっている』という考え方だ。この場合、AとBは正反対の意見である必要がある。それを結合させると、『意見C』というより強化された意見が残るわけだ。すると、
『意見C+意見D=…』
という形で、どんどん結合させていく延長線上が見える。そうやって最後に残ったのが『最後にして最高の意見』になる。このような考え方で意見を強く正しくしていく方法が、ここで言う『弁証法』だ。ヘーゲルはこの弁証法によって、最終的にたどり着くのが『絶対精神』だと言った。発展・成長・変化をするものにはすべてこの弁証法という『法則』が見られると考えたのである。
あるいは、
自分のことだけを考える時期から、客観性が芽生えるようになり、やがてその精神も究極の形を迎えるというわけだ。何度も何度も弁証法的に反復され、やがては芸術、宗教などすべての原理を貫く『絶対精神』なるものが生まれると考えたのである。
例えば、『主人と奴隷』という人間関係が昔は当たり前だった。だが、それが当たり前ではないという事実を正当化するために、この弁証法は役立った。
このように主人と奴隷の関係で考えると、この2人はこの後、『より良い方向』へ向かっていくことが出来るわけだ。このようにして今までの人間も、徐々に『より良い方向』へと向かってきた、と考えたのである。
ヘーゲルは、
『対象は本質的に知に属している。』
と言ったが、この意味はこうである。まず、赤ん坊がいて、本を見ている。だが、その本の内容はおろか、それが本であるということの認識すらも怪しい。だが、成長していくうえで、まずそれが本であるということはわかるようになる。だが、内容が難しい本ならば、そこに書いてある内容まではまだわからない。
そして、やがてわかるようになる。だが、それもすぐにすべてがわかるのではなく、徐々に輪郭が見えてくる。そしていずれは本当に全容がわかるようになる。そう考えると、『物や対象』というものは、その人の『知性』によって変化するわけである。ヘーゲルはこのような事実を考え、そしてそれをマルクスが利用したのだった。
ショーペン・ハウエル
だが、ヘーゲルの考え方は厳しく批判された。最も激しかったのが同じくドイツの哲学者、ショーペン・ハウエルである。
[アルトゥル・ショーペンハウアー]
各人の誕生年
マルクス | 1818年 |
ヘーゲル | 1770年 |
ショーペン・ハウエル | 1788年 |
彼はヴェーダ哲学と仏教に大きな影響を受けていて、世界を動かす本質は『理想や自由』などではなく、衝動的で盲目的な『意志』だと主張した。意志は、必ずしも正解ではない。ストーカー殺人もするし、戦争も起こす。だが、険しい山に登るし、困難な道を踏破させる。善悪の問題はあっても、『意志』がこの世界を動かしていると考えたのだ。
厭世哲学
そして、苦悩から解放されるために、
- 意志
- 欲望
を捨てることが必要だと説いた。まさしく、彼が影響を受けたものが何であるかを明確に語る答えである。彼は母親との仲が悪くなり、人生に失望したため、仏教等のその悟りの境地にたどり着いたのである。ヘーゲルの言うように『究極的にたどり着く精神がある』のではなく、『むしろ意志を捨てること』が答えだと説いたわけだ。彼のこうした哲学を『厭世哲学(えんせいてつがく)』と呼び、後にニーチェやフロイトといった偉人たちの思想にも影響を与えることになる。
ブッダが考えた『生まれ変わり』や『地獄』に対する見解とはなんだった?
私も彼の言葉で好きな言葉はたくさんある。
まだまだたくさんある。知性と主体性を大事にして人生を生きていくべきだという彼の考え方が、これらの言葉から伝わってくる。それは私が重んじていることだから、彼の言葉が好きなのだ。
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参考文献