名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
人間を『過信』している人は大勢いる。私も完璧主義者で、それが盲点になって過信に陥りがちだった。しかし、よく考えるのだ。赤ん坊の頃にした失敗や過ちを、我々は既に忘れている。それについて、なぜいちいち振り返って後悔しないのだ。それは、『その時の自分は未熟に決まっているから』と考えるからだろう。
では、質問しよう。今は?数年前のその当時は? 『未熟ではない、あるいはなかった』とでも言うのだろうか。 人間を『過信』している人は大勢いる。我々は一生、学んでいく存在なのだ。
ソクラテスは言った。
まずは『認識』が大前提である。
『過ちも失敗も多かった。だが、後悔する余地はない。』
私はヘルマン・ヘッセの言葉を10代の頃から意識して生きている人間だ。どれだけの窮地に陥っても、自殺することだけは絶対にしないと誓ったものである。私は罪を犯し、あるいは自分のせいで父親がストレスを負い、肝臓がんに罹って死んでしまった、という事実を受けても、私は固くそう誓ったものである。
確かにそこに罪の意識はあった。罪悪感があったのだ。自分の無知、無力さを知った。しかし、『死んで詫びる』ことや、両親のようにクリスチャンになることは、心が求めていないのにそれをすることは、違うという確信があった。
そもそも『死んで詫びろ』という両親の思いがあったとしても、そんなことを子供に言う人間は親ではない。また、少なからず自分たちが宗教を強要した事実があり、それに反発した形で非行に走ったのに、『死んで詫びろ』というなら、話は変わってくる。
だから私は生きることを選択した。クリスチャンにならないことも決意した。そうやって自分が自分らしく生き貫くことが、最大の親孝行なのだという結論に達したからだ。だがある日、深い闇の底で出会ったある友人に、こう言われたことがあった。
自分が自殺をせず、堂々と生きていくことを決意することは一見すると素晴らしいが、ある側面から見ると『自分の正当化』であり、エゴに近いものがある。その人から見ると、そういう風にも見えるというのだ。私は一理あると思った。そういう視点も隠蔽してはならないと思った。だが、そのすぐ後に考えたが、だとしたらすべての人間は自分を正当化して生きている。
別役実は言った。
例えば、自分が勝てば、競合やライバルが負ける。つい先日もカヌーの選手が、後輩の選手のドリンクに禁止薬物を混入させ、4年間の出場停止にさせようとする事件があったが、そうやって日々人はだれかと競争し、そして誰かが勝てば、誰かが負けるようになっている。
ある仕事やスポーツを本業にする人は、『これが天職だ』という風に振舞うが、実際はその他の仕事を全てやったわけではないので、その言葉は正当化である可能性が高い。そうやって、すべての人々は正当化して人生を生きている。
たしかに彼の言った視点は大事だ。だから私はあれから15年経った今もそのことをわすれていない。だが、人間は生きていかなければならない。この、虚無たる混沌の答えのない儚い一生を、『尊い』一生に変えるべく、力強く前に進んでいかなければならない。
花火を打ち上げることに意味があるかと問われ、またあるいは、花火の音がうるさいと思う人も世の中にはいる。だが、関係ない。我々は花火だ。一瞬だが夜空に大きく咲き散ることができる、尊い大花火だ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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