名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
マイケル・サンデルの著書、『これからの「正義」の話をしよう』にはこうある。
『家族の責務』
『これからの「正義」の話をしよう(P292)』
最も基本的な例は、家族がたがいに負う特別な責務である。たとえば、二人の子供が溺れていて、一人しか助ける時間がないとしよう。一人はあなたの子供、もう一人は赤の他人の子供だ。自分の子供を助けるのは間違っているだろうか?コインを投げて決めるべきだろうか?
おおかたの人は、自分の子供を助けてどこが悪いと言い、公平を期する為コインを投げるべきだと考えるのはおかしいと思うだろう。この反応の陰にあるのは、親には我が子の幸せに対する特別な責任があるという考えだ。この責任は合意から生じるという人もいる。子供を持つという選択によって、親は自発的に、特別の配慮を持って子供の世話をすることに同意するというのだ。
合意の問題を脇へ置くために、親に対する子供の責任について考えてみよう。介護を必要とする老親が二人いるとしよう。一人は私の母親で、もう一人は他人の母親だ。おおかたの人が納得するのは、もしも両方を介護出来れば立派だろうが、私には自分の母親を世話する特別の責任があるという意見だ。
この例では、合意によってその理由を説明できるかどうか、さだかではない。私は自分の親を選んでいないからだ。親をもつことさえ、選んでいない。母親の介護をする道徳的責任は、自分が幼いときに母親が世話をしてくれた事実から生じるという意見もあるかもしれない。母親が私を育て、世話してくれたから、私にはその恩を返す責務がある。母親が授けた恩を受けることにより、私は暗黙のうちに、彼女が必要とするときに恩返しをすることに同意した。
このように合意とのやり取りを計算するのは、家族の責務の説明としては冷たすぎるという人もいるかもしれない。それでも、仮にこの意見を受け入れたとしよう。親が育児を放棄したり子供に無関心だったりした人については、どうだろう?子育ての質によって、介護が必要になった親に対する息子や娘の責任の度合いが決まると言えるだろうか?たとえ悪い親でも、面倒を見る義務が子供にはあるというならば、道徳的要求はリベラル派の互恵主義と合意の倫理を超えることになる。
ここで考えたいのは、映画『ブラック・スワン』の監督がメガホンを取った『ノア 約束の船』だ。主人公のノアが、神の啓示を受け、人間が汚したこの地球を一度洪水でリセットするから代表的な動物を箱舟に男女ペアで入れて、新世界を生きるというストーリーが繰り広げられる。
その時、ノアの妻は、自分の子供を守ろうとするが神から使命を授かったノアは、その判断は『人間本位で醜く、公明正大ではない』と捉え『そういう人間のエゴが原因で地球がリセットされることになったのだ』という『神の規模』の行動を取ることを、断固として腹に据えて覚悟していた。しかし妻は、
と慟哭する。ノアとて家族は大事に決まっているが、しかし、『神の規模』に従うことこそ自分の使命であると確信していて、我が子に剣を突き刺そうと手を振り上げる。続きは映画で観たい。しかし、人間にとって『公明正大』とは、何だろうか。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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