名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
二つピッタリ当てはまる話がある。
一つ目は知人の話だ。知人はまだ20歳になるかならないかという年齢だった。会社も金目当てだ。拝金的な人生である。それだから遅刻が日常茶飯事だった。毎日のように上司にそれを注意された。それでも一向に治らなかった。しかし、ある日その上司は言うのをやめた。諦めたのだ。その 『異常』現象に危機感を覚えた知人は、次の日からもう二度と遅刻をしないようになったと言う。
もう一つは私の話だ。私はある時期、激しい剣道の練習をしていた。剣道の練習は過酷を極めた鳥肌が立つほど面を打ちこみ、その後に背負い投げをされるというまさに心身両面を鍛える、シビアなトレーニングだった。一緒にやっていた生徒がいて、彼は9年もその道をこなす、経験者だった。だが、私とは逆で、彼は実生活では、態度が粗悪だった。それに『腹を立てた』私は、彼にこう助言したのだ。
『あなたは、なぜあんなにも過酷なトレーニングを軽々とやるくせに、実生活はだらしないのですか?正直私は、食事がのどを通らないほど運動をしたのは初めてで、とても厳しいトレーニングをしているという自負がある。あれだけのことが出来て、実生活で出来ないというのはあり得ません。』
実生活では遥かに先輩だった私の意見を、聞いてくれたかそうでないかは関係なかった。とにかく私がその当時抱えていたテーマは、『見て見ぬフリを絶対にしない』というものだった。対象は、彼だけではない。もっと問題ある人間にもそうだし、自分自身に対してもそうだったのだ。しかしその後の彼の生活態度が著しく変わることはなかった。
激動の時間が過ぎた。そして、私はその生活を卒業することになった。それから1か月経ったぐらいのときだった。とある先生が私に近寄ってきて、私に向かってこう言うのだ。
なるほど。こういうこともあるんだな。私はそう、実感した。私がいる間は言うことを聞かなかった。だが、言う人がいなくなった途端、彼に危機感と主体性が芽生えたのだ。この二つの共通点、そしてモンテーニュの言葉の解釈で間違えてはならないのは、
『最初は働きかけをしていた』
という事実である。この事実を間違えてはならない。やったことは無駄にならない。気持ちは最低でも、水面下で伝わっているのだ。そういうことを覚えたい。
追記:更にここに付け加えるべき要素として、10年間遅刻や居眠りをし続ける私の部下の話がある。どこの国に目を向けても、10年間それをし続けている人など、すぐに首になるのが落ちである。
彼は、ナルコレプシーという居眠りが止められない病気でもない。ナルコレプシーの人は運転中だろうが、歩行中だろうが平気で寝てしまう。寝てしまうから車には乗らないし、歩行するときはヘルメットをかぶる。道路で寝てしまって頭を打てば死んでしまうからだ。
彼は運転することはなんてことはない。人が見ているところで居眠りをすることもない。彼は人一倍人目を気にして生きる臆病な人間だからだ。だからナルコレプシーというわけでもない。うつ病というわけでもない。ただただ10年間、自分で主体的に人生を生きることができていないだけなのだ。
私の会社の前に勤めていた居酒屋ではどうしていたかというと、母親が夕方はいつも家にいたので、起こしてもらっていたと言う。今、そうした外部要因が自分からなくなったことで、自立して生きていくことができなくなってしまったのだ。彼は自分でそれを認識しているのである。
ある人からは、
と言われたが、彼とその後数回やり取りをして、最後には私に謝罪した。
と。私は10年間彼と一緒にやってきて、そしておそらく10年後も共に仕事で戦っている。だが、その彼は10年間一緒にいないし、10年後の彼のことなど全く覚えてもいなければ、責任を負うつもりはない。その決定的な事実を軸にして話したらそれだ。人に意見を言うときはそれくらいの覚悟をして言わなければならない。
教育の神、森信三は言った。
私はこの言葉通りに、屈することなく彼と向き合ってきたのだ。10年間だ。10分や10時間ではない。一体どれだけのことがあったと思うだろうか。安易に意見を言う人間にはおよそ想像もできないだろう。
私に意見をした彼のことを責めているのではない。彼の名前も出さないし、特定させることはしないので私は彼を尊重している。私は『あった事実』を話しているだけだ。そして私と部下との戦いは、見て見ぬふりをする多くの人間の陰でこれからも続いていくのである。
ただ、見て見ぬふりをしているのは私もおなじだ。私もどこかにいる奇病で悩む人の人生や、途上国で餓死する子供の人生を見て見ぬふりをして生きながらえている愚かで無知な人間の一人である。だから責める資格はないということだ。
『働きかけをあきらめることも、場合によっては働きかけそのものとまったく同様の効果をあげるものである。』
さて、この言葉に戻ろう。であるからして私はこの部下に働き続けてきたわけだが、実はモンテーニュの言うように、『お前を首にすることも教育の一つだ』という意見は数年前から言っているのである。この事実をこれから私は、慎重に、そして決断することは断固として行うつもりである。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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