名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
私はクリスチャンの母を『愛してはいる』が『嫌い』なので、このマザー・テレサの言葉にはいつも『イラっ』とくることが多い。それは、母と同じように、キリストのみを絶対主とする姿勢を見せるからだろう。だが、今回の言葉なら、素直に受け入れることが出来る。そもそも私が彼女らを毛嫌いするのは、『イエス・キリスト様』という風に、カルト教団チックな言い回しをあえてするところなのである。
重要なのは、人が、人の道を歩いていくことであって、『イエス様』と言ってひざまづく必要はないはずなのだ。そうじゃないと、その他の信仰を持つ人々との間に『線』が引かれる。それが人間としてのあるべき姿だとは、私は断固として思うことは無い。それよりもすんなり受け入れられるのは、『超訳 聖書の言葉』の著者、白鳥氏の様に、
『神=愛である。』
と断言する人の話だ。それだったら、『神=愛=真理』という図式にもなるわけで、とても信憑性があり、普遍的だ。偏っていない。全人間に共通して、この図式が当てはまる。全人間だ。今だったら72億4千万人。しかし、『イエス・キリスト様』ということになると、その数は半分以下になる。
『神=愛=真理』
とは、普遍的でなければならないはずである。そうすれば戦争も起きないはずである。そうじゃないから、起きてしまう事実もあるはずなのだ。例えば、キリスト教徒がイスラム教の最高預言者ムハンマドを冒涜した動画を撮影して、ネットにアップした。それを見て怒りに燃えたイスラム教徒たちが、アメリカの要人を殺害してしまった。
それが紛れもない『事実』なのに、それでもまだ『偏った意見』を主張することは、ダイバーシティ(多様性)なんたらという話の前に、『人として』あるべき姿なのかどうか、首をかしげるべきである。
ダイバーシティというのであれば、
という意見も認める必要がある。それを認めていいかどうか、自分の頭で考えてみると良い。絶対に、断じてそれを許すことは出来ない。もし許せるという人がいるのなら、実際にそういう目に遭った遺族の元へ行って、直接その意見を主張することだ。ただし、命の保証は出来ない。
さて、マザー・テレサの言葉に戻るが、この話を例えば『真理に沿って考えた時』とするならば、私は納得がいく、と言ったのである。中絶を法的に認めるような人間の在り方は、間違いなく『人の道』から逸れた場所を歩いている。そういう風に警鐘を鳴らすこの言葉は、とても的を射ていると、こんな私の目にから見ても、そう見えるのである。
過ちによって、そういうことは起きてしまうかもしれない。だが、『公として認める』ことと、それとは別次元だ。あるいは、『断固として認めない』体制が整うことで、それに対する人々の規範意識が強化され、人が、人で在る様に努めるようになり、そこには、『真理=愛=神』に倣った人間の姿があるのである。
追記:この記事を強化する記事ができた。以下の2つの記事だ。
『世界平和の実現に必要なのは『真理=愛=神』の図式への理解だ。』
『真理(愛・神)から逸れれば逸れるほど虚無に近づく。』
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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