ハニワくん
先生
いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!
- 第一次世界大戦(1914年7月28日 – 1918年11月11日)の原因は?
- 第一次世界大戦の内容と結果は?
1.ドイツ皇帝の暴走で戦争の種が蒔かれ、『サライェヴォ事件』で沸点を迎えた形です。
2.ドイツ優勢かと思いきや、イタリアの裏切り、アメリカへの攻撃で圧倒的に不利になり、『三国協商』が勝ちました。
ハニワくん
博士
第一次世界大戦は『三国同盟』と『三国協商』が軸となった戦争です。
三国同盟 | ドイツ、オーストリア、イタリア |
三国協商 | ロシア、イギリス、フランス |
上記の『サライェヴォ事件』の記事を見れば分かりますが、ドイツのヴィルヘルム2世がロシア、イギリス、フランスに喧嘩を売り、領土を奪ったりして暴走します。そこで彼らは『三国協商』を作り、敵対エネルギーが生まれました。そしてサライェヴォ事件でついに堪忍袋の緒が切れて、オーストリアがセルビアに宣戦布告。セルビアの後ろ盾であるロシア側と、オーストリアの後ろ盾であるドイツ側が総動員となり、『連合軍VS連合軍』の戦争へと発展してしまい、『第一次世界大戦』へと発展しました。
1915年4月22日、ドイツは初めて戦争で毒ガスを使用。これは「戦争の歴史の新しい章」「現代の大量殺戮兵器の誕生」と言われる大事件でした。しかし結果としてはイタリアの裏切り、中立国アメリカへの攻撃で圧倒的に不利になり、『三国協商』が勝ちました。
博士
ハニワくん
先生
Contents|目次
第一次世界大戦
『第一次世界大戦』
ドイツ皇帝3代目の暴走で一触即発の2大エネルギーが誕生!『サライェヴォ事件』はこう起こった!
上記の記事の続きだ。1914年、バルカン半島におけるボスニアの都サライェヴォにて、パン・スラヴ主義のセルビア人学生プリンツィプにに暗殺された。この『サライェヴォ事件』でオーストリアはセルビアに宣戦布告し、セルビアの後ろ盾であるロシア側と、オーストリアの後ろ盾であるドイツ側が総動員となり、『連合軍VS連合軍』の戦争へと発展してしまう。
ドイツ側
三国同盟 | ドイツ、オーストリア、イタリア |
バルカン半島での同盟国 | ブルガリア、オスマン帝国 |
ロシア側
三国協商 | ロシア、イギリス、フランス |
バルカン半島での同盟国 | ルーマニア、セルビア、ギリシャ |
ここまでの連合体での戦争になると、正直『世界大戦』に等しい。しかし、彼らはこの時、まだこの戦争がそこまでのことは想定できていなかったようだ。今までの人間の長い歴史を見ても、そこかしこで戦争は行われてきた。今回もその戦争と同じだ。どちらかが戦いに勝ち、勝った方が優位性を得て、負けた方が不平等条約を突き付けられる。その根幹にあるのは『利権争い』である。誰かが利益を求めて、誰かの利益を害そうとし、その相手もその利益を死守しようとすることで戦争が起きるのである。
これまでの戦争とは規模が違った
しかし、今回の戦争は今までのそれとはわけが違った。例えば18世紀にイギリスで『農業・エネルギー・産業』といった3つの大きなが起き、世界の形が大きく変わった。人々はより合理的に活動し、生産力を上げ、より効率的に行動できるようになった。その中で、様々な技術の進化もあった。
- 戦車
- 航空機
- 毒ガス
- 潜水艦
今までの戦争の歴史にこういうものはあっただろうか。人間はついに踏み込んではいけない領域へと踏み出してしまったのだ。もっとも、片足を突っ込んだのはもっとはるか昔の時代だ。この戦争はその延長線上で起きた歴史の踏襲だった。
イギリスを『世界の工場』にした3つの革命『農業・エネルギー・産業』革命とは
アメリカのライト兄弟は、1903年12月17日に飛行機(動力を備えた重航空機)「ライトフライヤー号」による世界初の本格的な有人飛行を行った。彼らは別に戦争でこの飛行機を使ってほしいと思っていたわけではなかった。彼らはただ、空を飛んでみたかっただけだったのだ。
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その後、何人かの技術者の手によって、飛行機の活用方法に様々な選択肢が与えらていった。第一次世界大戦では、飛行機は最初偵察機として使用された。当初敵の偵察機と遭遇しても「同じパイロット仲間同志」としてハンカチを振り合ったという逸話があるが、すぐにピストルを撃ち合うようになり、武器自体も機関銃へと進化して戦闘機が生まれた。また敵地上空まで飛んでいって爆弾を落とす爆撃機も誕生した。イギリスは世界最初の雷撃機を製造した。
世界戦争(World War)、大戦争(Great War)
ヨーロッパの列強が連合軍を組み、それに匹敵するもう一つの連合軍と衝突。この戦争は世界に甚大な影響を与え、世界戦争(World War)または大戦争(Great War)と呼ばれるようになった。
あるいは、欧州大戦(War in Europe)、戦争を終わらせるための戦争(the war to end wars)という表現もあった。第二次世界大戦以降は、主に第一次世界戦争(First World WarまたはWorld War I)と呼ばれるようになった。
1914年9月、フランス侵攻のためにベルギーを突破したドイツ軍だったが、『マルヌの戦い』でフランス軍がマルヌ河畔で食い止めた。
[第一次マルヌ会戦時の独仏両軍の戦線]
1915年4月22日、ドイツは初めて戦争で毒ガスを使用。これは「戦争の歴史の新しい章」「現代の大量殺戮兵器の誕生」と言われる大事件だった。
[東部戦線のガス攻撃。右側は後続攻撃を準備している歩兵]
その頃ロシアでは、国内での内乱も起きていた。下記の記事で皇太子時代に日本で暗殺されかけ、30代で日露戦争、その後に第一次世界大戦、二月革命、十月革命と、波乱万丈な人生を送り、最後は革命派に家族ともども銃殺されてしまった『ロシア最後の皇帝』ニコライ2世について書いたが、ニコライ2世の時代が終わろうとしていたのである。
『三国同盟』に『三国協商』。次々と列強が同盟を組む!でも、そんなに大きな力同士が衝突したら…
イタリアの裏切り
ではドイツ側が優勢かと言えば、ドイツはドイツで、同盟国イタリアが土壇場で裏切り、ロシア側に回られてしまう。そしてドイツは、
- フランス
- ロシア
- イギリス
- イタリア
に包囲され、潜水艦を使った長期戦を覚悟する。
無制限潜水艦作戦
1917年春、ドイツは無制限潜水艦作戦を宣言。このようにドイツ海軍による無制限潜水艦作戦を再開すると、イギリスをはじめとする連合国から日本に対して、護衛作戦に参加するよう再三の要請が行われた。1917年1月から3月にかけて日本とイギリス、フランス、ロシア政府は、日本がヨーロッパ戦線に参戦することを条件に、山東半島および赤道以北のドイツ領南洋諸島におけるドイツ権益を日本が引き継ぐことを承認する秘密条約を結んだ。
[1917年春、地中海でイギリスの貨物船に砲撃するドイツの潜水艦U-35。U-35は少なくとも船226隻を撃沈しており、史上最も「成功」した軍艦とされている。]
『三国協商』側の勝利
しかしドイツは、イギリス・フランスに向かう中立国アメリカの輸送船も沈めてしまい、アメリカさえも敵に回してしまうことになり、ついにドイツ率いる『三国同盟』は敗北。ロシア、イギリス、フランスの『三国協商』側の勝利となった。『第一次世界大戦』はこうして4年間も続き、1918年にようやく幕を閉じることになった。
[第一次世界大戦ではそれまでの戦争とは比較にならないほど大量の弾薬が消費された ソンム(フランス)、1916年。]
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