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人類はもう二度と世界大戦をしてはならない。『第二次世界大戦』の次は、もうあってはならない。

ハニワくん

先生、質問があるんですけど。
では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。

先生

いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!

  1. 第二次世界大戦の原因は?
  2. 第二次世界大戦の内容と結果は?

1.ヒトラー、ムッソリーニが国家の危機的状況を打破しようとして『開き直った』のが発端です。

2.ナチス・ドイツが驚異的な強さを見せましたが、連合軍側が結束して巻き返して勝利しました。

ハニワくん

なるへそ!
も、もっと詳しく教えてくだされ!

博士

ヒトラー、ムッソリーニが『開き直った』のは国家の危機があったからです。

彼らの国イタリア、ヴァイマル共和国(ドイツ)というのは『第一次世界大戦』の後、アメリカに助けられて存続していたような状態でした。そもそも彼らが第一次世界大戦を起こし、それで追い込まれたわけですから、自業自得なわけです。しかし彼らにも言い分があって、

 

このままで終われるか!

 

と奮起したのです。そして利害が一致した『日独伊』が同盟を組みます。日中戦争で莫大な戦費を費やしていた日本は、中華民国を支援するアメリカと鋭く対立していたので、日本政府はドイツと手を結び、アメリカを牽制することで、日中戦争を有利に処理しようとしていました。この3国の共通点は、

 

日独伊

我々の帝国を拡大させるぞ!

 

というものでした。ドイツとイタリアは窮地から『一発逆転』を狙い、日本は日清戦争、日露戦争と戦争に勝ったその実績から、そのまま自国の領土を拡大させる野心に囚われていました。

 

『枢軸国(ナチス・ドイツ、日本、イタリア)他』 VS 『連合国(イギリス、フランス、アメリカ、ソ連、中国』

 

第二次世界大戦は、以下の3つの側面を持つ戦争でした。

 

  1. 日独伊ら全体主義国が英仏米ら帝国主義国に対し、植民地再分割を求めた帝国主義戦争
  2. 全体主義対民主主義の戦い
  3. 帝国主義やファシズムによる侵略に対する諸民族の独立解放と抵抗の戦い

 

東南アジア等の植民地化された国々も独立解放の為に戦い、世界の列強である枢軸国と連合国の戦いというだけではなく、本当に世界規模の戦争となったのです。

 

枢軸国は暴れ回りましたが、結局1945年、ベルリンを包囲されたヒトラーは自殺し、翌年5月にドイツは無条件降伏。『ポツダム宣言(日本への降伏要求の最終宣言)』が出され、他の枢軸国が降伏した後も交戦を続けていた日本は、1945年8月14日にこの宣言を受諾し、1945年9月2日に調印・即時発効(降伏文書)に至って第二次世界大戦(太平洋戦争)は終結しました。

うーむ!やはりそうじゃったか!

博士

ハニワくん

僕は最初の説明でわかったけどね!
更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。

先生

驚異的だったナチス・ドイツ

『第二次世界大戦』

アメリカの世界恐慌をきっかけにこの世界に再び危険因子が誕生!最恐・最凶の『日独伊三国同盟』

 

上記の記事の続きだ。

 

  1. 日本
  2. ドイツ
  3. イタリア

 

の3国は『日独伊三国同盟(1940年)』を組み、この世界に強烈な危険因子が誕生してしまっていた。この頃、かつての強国イギリスとフランスは、ヒトラーを刺激するのを恐れ、静観する選択肢を取ったほどだった。では一体どのような対処を取ったのだろうか。

 

ナチス・ドイツはまずかつてのヨーロッパの強豪かつ『三国同盟』の同志、オーストリアを併合。かつて、オーストリアとプロイセン(ドイツの前段階)は主導権争いをしていた時期があったわけだが、ビスマルクがプロイセンの首相に任命され、『プロイセン=オーストリア戦争(普墺戦争)(1866年)』でヨーゼフ1世率いるライバルのオーストリアを撃破。そして、ドイツからオーストリアを除外し、『北ドイツ連邦』を成立させ、今回はヒトラー率いるナチス・ドイツに併合されるなど、もはや国力は完全にドイツが上回っていたのだ。

 

ドイツ(神聖ローマ帝国・オーストリア・プロイセン)で起きた『三十年戦争』と『七年戦争』

ドイツ皇帝3代目の暴走で一触即発の2大エネルギーが誕生!『サライェヴォ事件』はこう起こった!

 

 

宥和政策(ミュンヘン会談)

続いてナチス・ドイツはチェコスロヴァキアの中でもドイツ人の多いスデーテン地方を得ようとするが、チェコスロバキアはこれに反対。だが、ここで強国イギリスとフランスが『ミュンヘン会談(1938年)』にて、

 

イギリスとフランス

ナチス・ドイツにスデーテンを譲ってやれ。

 

として、ヒトラーのご機嫌取り対策を推進してしまう。これが『宥和政策』と言われ、後に非難の対象になるわけだ。

 

[ミュンヘンに集まった英仏独伊の首脳。左からチェンバレン、 ダラディエ、ヒトラー、ムッソリーニ、チャーノ伊外相]


参考
ミュンヘン会議Wikipedia

 

 

第二次世界大戦開幕

このミュンヘン会議での出来事は、ヒトラーに調子を乗らせるだけの大きな要因だった。

 

ドイツ・ポーランド侵攻

ナチス・ドイツは、かつて仮想敵国と定め、スペインの内戦で対立したソ連と手を組み(独ソ不可侵条約)、ポーランド占領(1939年)。実に200万を擁するポーランド軍も、高度に機械化されたドイツ軍とヒトラーの狂気的なエネルギーには太刀打ちできなかった。ここから本格的な『第二次世界大戦』が始まっていくのである。

 

 

『枢軸国』対『連合国』

1914年~1918年にあった『第一次世界大戦』では、

『三国同盟(ドイツ、イタリア、オーストリア・ハンガリー)』他 VS 『三国協商(ロシア、イギリス、フランス)』他

三国同盟

ドイツ ヴィルヘルム2世
オーストリア・ハンガリー ヨーゼフ1世
イタリア ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世

三国協商

ロシア ニコライ2世
イギリス ジョージ5世
フランス クレマンソー

 

という構図があった。さしずめ、『同盟国』対『連合国』だった。

 

[三国同盟(赤)と三国協商(青)]


参考
三国同盟 (1882年)Wikipedia

 

しかし今回の『第二次世界大戦(1939~1945年)』では、『枢軸国』対『連合国』。

『枢軸国(ナチス・ドイツ、日本、イタリア)他』 VS 『連合国(イギリス、フランス、アメリカ、ソ連、中国』

枢軸国

ナチス・ドイツ ヒトラー
日本 東条英機
イタリア ムッソリーニ

連合国

イギリス チャーチル
フランス ド・ゴール
アメリカ フランクリン・ルーズベルト
ソ連 スターリン
中国 蒋介石

 

という構図だった。

 

 

第二次世界大戦が持つ3つの側面

  1. 日独伊ら全体主義国が英仏米ら帝国主義国に対し、植民地再分割を求めた帝国主義戦争
  2. 全体主義対民主主義の戦い
  3. 帝国主義やファシズムによる侵略に対する諸民族の独立解放と抵抗の戦い

 

『世界戦争(World War)・大戦争(Great War)・第一次世界大戦(First World War)』で戦争の歴史が変わった!

 

 

パリ滑落

ナチス・ドイツはその後、

 

  1. デンマーク
  2. ノルウェー
  3. オランダ
  4. ベルギー

 

を侵略し、フランスに侵攻して1940年6月に、パリを滑落させた。フランスとイギリスは完全に後手に回った。ポーランドを侵略したあたりで『ヨーロッパ戦線』としてドイツに宣戦布告をしたが、ナチス・ドイツの勢いを止めることはできなかったのだ。

 

[シャルル・ド・ゴール]

 

だが、フランスもそこから粘った。シャルル・ド・ゴール将軍はイギリスに逃れ、『自由フランス政府』という地下組織をつくり、フランス奪回のためにレジスタンスと共闘した。

 

 

『独ソ不可侵条約』破棄~独ソ戦~

イギリスにも侵攻したナチス・ドイツだが、どうもソ連が協力的ではないと悟ると、ヒトラーは1941年、『独ソ不可侵条約』を破棄し、ソ連にも侵攻を始めた。

 

実はソ連とナチス・ドイツは、以前からちょっとした問題を抱えていた。『日独伊三国同盟』を組んだ日本、イタリア、ナチス・ドイツだったが、1940年11月15日、ソ連のモロトフ外相はフリードリヒ・ヴェルナー・フォン・デア・シューレンブルク駐ソ・ドイツ大使をクレムリンに招き、ソ連は「日独伊ソ四国同盟」を締結する準備があると告げた。つまりソ連は、

 

  1. 日本
  2. ドイツ
  3. イタリア
  4. ソ連

 

の4国が同盟を組み、『日独伊ソ四国同盟』を組む考案をしたのだ。しかしソ連は条件を出した。それが、

 

  1. ドイツ軍のフィンランドからの撤退
  2. ソ連ブルガリア協定の締結
  3. ボスポラスとダーダネルス両海峡における海軍基地建設のための長期借地権
  4. 北サハリンにおける日本の石炭・石油採掘権の放棄

 

だった。スターリンは四国同盟の調印を了承していたが、ソ連侵攻を考えていたヒトラーは返答しなかった。スターリンは最後まで四国同盟締結の希望を失わず、ドイツ軍の奇襲を許してしまった。そして、1941年6月22日に突如ドイツ国防軍がソ連に侵入し、戦争状態となった。『独ソ戦』である。

 

だが、ソ連には『奥の手』があった。それは、かつてアレクサンドル1世がナポレオンを撃退した『焦土作戦』だった。1812年、当時のロシア皇帝アレクサンドル1世は賢く、地の利を生かそうとしてわざと少しずつ敗北しながら、フランス軍をロシア内部におびき寄せる。そして冬を待ち、環境に適応できず弱体化したフランス軍を倒したのだ。実にナポレオン軍は、戦死と凍傷で61万もいた兵士が5千人に激減してしまったという。

 

[アドルフ・ノーザン『ナポレオンのモスクワからの退却』]

 

王を失ったフランスで『ナポレオン・ボナパルト』のエネルギーが大爆発!イギリスの代わりに世界を獲るか?

 

スターリンはアレクサンドル1世と同じ手を使い、ナチス・ドイツの奇襲を封じ込めた。

 

 

スターリングラード攻防戦

そして、1942年の『スターリングラード攻防戦』によって戦局は大きく転換し、連合軍が優位になった。これは、

 

  1. ドイツ
  2. ルーマニア
  3. イタリア
  4. ハンガリー
  5. クロアチア

 

からなる枢軸軍とソビエト赤軍の戦いで、史上最大の市街戦に発展、やがては日露戦争の『奉天会戦』や第一次世界大戦の『ヴェルダンの戦い』を上回る動員兵力、犠牲者、ならびに経済損失をもたらす野戦に拡大する大きな攻防戦だった。

 

[荒廃したスターリングラード市街とバルマレイの泉]

 

 

日本と『太平洋戦争』

日本も全力で戦った。命を懸けて戦った。この日露戦争で列強の仲間入りをした日本の勢いは、留まるところを知らなかった。1941年、真珠湾を攻撃した日本は『太平洋戦争』を引き起こし、第二次世界大戦の渦に入って戦争を巻き起こすのであった。

 

[日本軍に降伏する香港のイギリス人(1941年12月28日)]

 

[シンガポールにて日本軍に降伏するイギリス軍(1942年2月)]

 

[コレヒドール島にて日本軍に降伏するアメリカ軍(1942年2月)]

 

[日本軍の攻撃を受け沈むアメリカ海軍の空母「ワスプ」]

 

[日本軍の魚雷を受け沈むアメリカ海軍の「シカゴ」(1943年1月)]

 

世界各地で様々な出来事があった。フランスでド・ゴールはBBCラジオを通じて抗戦を呼びかけ、ノルマンディー上陸作戦(1944年6月6日)成功を受け、自由フランス軍を率いてパリを解放した。

 

[ノルマンディー上陸作戦(ネプチューン作戦) LCVPからオマハ・ビーチに上陸する米第1歩兵師団第16歩兵連隊E中隊(1944年6月6日、ロバート・F・サージェント撮影)]

 

ヒムラーがユダヤ人大量虐殺を推進し、ヒトラーはユダヤ人を大量虐殺していた。『ホロコースト』である。

 

なぜヒトラー(ナチス)はユダヤ人を虐殺したのか?

 

そして1945年8月6日、広島に、そして9日には長崎に原子爆弾が投下された。

 

[長崎に投下された原子爆弾のキノコ雲 1945年8月9日]

 

戦争自体が起きてはならない。だが、この第二次世界大戦で行われたことは、本当にもう二度と起きてはならないことばかりだった。

 

STEP.1
ドイツ・ポーランド侵攻
1939年。独ソ不可侵条約を結んだドイツはポーランドに侵攻。イギリスとフランスがこれに対し宣戦し、大戦がはじまる。
STEP.2
スターリングラード攻防戦
1942~1943年。ドイツ軍はソ連の工業都市スターリングラードに侵攻するが、敗北。以降は劣勢へ転じる。
STEP.3
イタリア・無条件降伏
1943年。連合軍が北アフリカからシチリア島に侵攻。国内ではムッソリーニが逮捕され新政権を樹立した。
STEP.4
連合軍、ノルマンディー上陸
1944年。連合軍がフランスの大部分を奪還。『史上最大の作戦』と言われたほど大規模なものだった。
STEP.5
ベルリン没落
1945年。権力を盛り返した連合軍はドイツ領内に侵攻。4月にはソ連がベルリンを包囲し、ドイツは無条件降伏した。

 

 

この戦争で人が得たものとは

アインシュタインは言った。

 

『原爆の父』と言われたオッペンハイマーは、日本に原爆が使われてしまったことを悔いた。そして、かつてそう言ったアインシュタインは自分の生み出したエネルギーの公式で原子爆弾が作られたため、日本に来日したとき、泣いて謝った。また、ノーベルも自分の作ったダイナマイトが殺人に使われ、『生まれてすぐに殺された方がマシだった』と言った。更にライト兄弟の弟オーヴィルも、第二次世界大戦で飛行機が戦争に使われ、自分の人生を後悔した。

 

アインシュタインは手塚治虫と宮崎駿を言いくるめることが出来るか?

 

一体だれが得をしたのか。今までの人間の長い歴史を見ても、そこかしこで戦争は行われてきた。今回もその戦争と同じだ。どちらかが戦いに勝ち、勝った方が優位性を得て、負けた方が不平等条約を突き付けられる。その根幹にあるのは『利権争い』である。誰かが利益を求めて、誰かの利益を害そうとし、その相手もその利益を死守しようとすることで戦争が起きるのである。しかし人間は、

 

  1. 第一次世界大戦
  2. 第二次世界大戦

 

を経て、もはや『王手』をかけられたのである。アインシュタインはこうも言った。

 

1945年、ベルリンを包囲されたヒトラーは自殺し、翌年5月にドイツは無条件降伏。同年7月26日ににアメリカ合衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席の名において大日本帝国(日本)に対して発された、全13か条から成る宣言『ポツダム宣言』、正式には日本への降伏要求の最終宣言が出され、他の枢軸国が降伏した後も交戦を続けていた日本は、1945年8月14日にこの宣言を受諾し、1945年9月2日に調印・即時発効(降伏文書)に至って第二次世界大戦(太平洋戦争)は終結した。

 

第一次世界大戦はドイツの皇帝ヴィルヘルム2世がきっかけとなり、第二次世界大戦もドイツのヒトラーが中心となって巻き起こった。もしまたドイツから暴走する人が現れたら、ドイツはもう二度と復興できないかもしれない。いや、それどころではない。そうなればこの世に広がるのはもはや、荒廃した再起不能の地球である。

 

 

ドイツ皇帝3代目の暴走で一触即発の2大エネルギーが誕生!『サライェヴォ事件』はこう起こった!

 

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